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世界の「料理王逝く」ということから
せかいの「りょうりおうゆく」ということから
作品ID49984
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「星岡」1935(昭和10)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-23 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。
 翁は外国にあって――わけても英・独・米等の地に永く留まって、フランス料理の醍醐味を遍からしめたので、『美食の大使』とも呼ばれていた。
 ロンドンのサボイ・ホテルやカルトンで腕を揮っていた頃には、どれほどの喰いしん坊がはるばる海を渡って彼の皿を求めに来たか知れない。
 大戦前、しばらくの間独帝に仕えた折りのこと、朕を毒殺するも容易であろうといったカイゼルに対して、フランス人は不意討ちなどは仕りませぬと敢然といい放ったものだという。
 その死に遇って、パリのあらゆる新聞が筆を揃えて、偉大なる損失を悼んだのも、また、先に政府が勲章をもって功績に報いたのも、調理を芸術の一分野と看る、いかにも美食国らしい振舞いではないか」
 右は「料理王逝く」として去る四月二十八日の東朝所載の記事。いかにもその料理王なるひとの生涯は思い見てうらやましきことだ。

       すべての日本は外国に優る

 その料理王の料理、いうがごとくしてそれが日本人であるなら、僕らのごときは毎日のように彼の料理を食ったことか分らない。
 昔から僕らは日本という国、およそ何事も精神的のことであるかぎり、いかなる外国にも劣ることなしと考えているが、料理人ばかりは、この話に価するような者は一人もいないようだ。

       日本料理と西洋料理との根本相違

 もっとも日本料理と西洋料理とは、根本的に行方が違うようである。西洋料理はだいたいにおいて拙い材料を煮様、焼き方によって美味くする。従って、発達した理知がもっとも必要だ。しかし、目はいらない。それというのは西洋料理は美術的でないから。西洋料理では物の色は大きな役目をしているといえない。従って、目を喜ばす色を持つ料理はないといってよい。だから、食器類が美術的によき発達をしていない。白くして汚れがない程度を喜ぶに過ぎない。
 こう考えてくると西洋料理なるものは、さほどむずかしいものとは考えられない。記事中の名料理人なるものは、どんなひとか知らないけれど、とにかく、一世に鳴った人物であってみれば、料理の好きな人間であったに違いなかろう。味覚上天才を持っておったことも、一大盛名を馳する第一の要素となっておったと見るべきだ。
 しかし、このひと、欧米の料理界において著名を謳われたのは、料理の腕もさることながら、人間が相当に出来ていたに違いない。

       最後は人間の問題

 その人間の力というか、人格というか、人間が出来ているということ、それが根本での働きをして欧米唯一の王冠を得たものと思う。
 日本の料理界を見るとき庖丁を持たせば、達者に使える者は幾人もおる。煮炊きさせても、かれこれ役に立つ者もないではないが、ただ憾むらくは人間の出来てい…

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