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伝不習乎
ならわざるをつたうるか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「星岡」1935(昭和10)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-17 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 昔の料理は至極簡単なものであった。今日の料理は至極複雑である。しかし、どっちが本当に美味を持っていたかというと、昔の簡単な料理に軍配が挙がる。少なくとも今日の料理が次第にインチキ料理になりつつあることは争われぬ事実である。それはなぜかといえば、料理法は簡単素朴なものであったが、材料がしっかりしたものであったからだ。
 こんど某会館で魚料理を始めた。僕も開業の日に行ってみた。食べ物についてはぜいたくな紳士で知られている○氏が経営者で、その料理人というのが、フランスの有名な魚料理店に七年とか十年とかいたという男であるというのが看板で、相当期待をかけていたらしい。
 ところが行ってみると、そこに並べてある材料の魚を見ると、その魚がどれもこれも二等品、三等品なのだから、あきれて物がいえない。
 ちょうど僕がいる時に○氏が出て来て、支配人に料理はなんでもうまくなければいかんぞ、まずかったらあかんぞとどなっていた。あの食べ物についてやかましい紳士が、こういうことをいう以上、ともかく、料理として最上のものを作って食わせようというのが、魚料理を始めた方針であると思われる。
 僕の思うのに、○氏はなるほどなかなかの食通で、うまい料理は食って知っている。だから食わせればうまい料理か、まずい料理かは分るに違いない。しかし、そこに並べてあった魚も、あの人が目をとおしたに違いないが、魚のよしあしは残念ながら分らない。おそらく、それでよいと思ったか、少なくとも、それでも料理人の腕次第で、これで立派な料理が出来るものと考えたか、いずれかに違いない。
 しかも、開業日に並べたててみせる魚がこれだから、それで僕にはこれはいけないと思われた。案の定、料理は食われたものではなかった。
 料理はその意味で、なんといっても材料が第一である。材料がよければ料理人の腕が少々鈍くとも甘ければ甘いなりに、辛ければ辛いなりに出来る。
 しかし、これを食うひとの方からいえば、まず料理人がどうだこうだという話で、そんなことに騙されて、これはうまいだろうと考えるのが、いわば軽薄であるというより他はない。どこにいようと、だめなものはだめである。

       *

 料理界を見渡して、紳士と呼ばるべきものが、料理屋の主人にもせよ、職人にもせよ、一人もいないということは、今日の料理がどんなものであるかということを、もっとも雄弁に物語る。彼等の多くは普通教育的の教養さえもなく、もちろん、書物を読むでなく、趣味を解する者などは一人もない。そこで今さら教育しようにも教育のしようがない。少なくとも今日まではそうであった。今後といえども、おそらくそうであろう。彼等は料理というものを、一段下がった下等な仕事だとみずから思い込んでいるもののごとくである。
 そのことは彼等のすることなすことなに一つ見ても、みなそうである。
 例え…

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