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報恩記
ほうおんき
作品ID50
著者芥川 竜之介
文字遣い新字新仮名
底本 「芥川龍之介全集4」 ちくま文庫、筑摩書房
1987(昭和62)年1月27日
初出「中央公論」1922(大正11)年4月
入力者j.utiyama
校正者かとうかおり
公開 / 更新1998-12-19 / 2014-09-17
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     阿媽港甚内の話

 わたしは甚内と云うものです。苗字は――さあ、世間ではずっと前から、阿媽港甚内と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盗人です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。
 あなたは日本にいる伴天連の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや聚楽の御殿へ召された呂宋助左衛門の手代の一人も、確か甚内と名乗っていました。また利休居士の珍重していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った連歌師の本名は、甚内とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、阿媽港日記と云う本を書いた、大村あたりの通辞の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか三条河原の喧嘩に、甲比丹「まるどなど」を救った虚無僧、堺の妙国寺門前に、南蛮の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の御寺へ、おん母「まりや」の爪を収めた、黄金の舎利塔を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。
 しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか阿媽港甚内は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの刃金に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして好いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、冥福を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、他言しない約束が必要です。あなたはその胸の十字架に懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は赦して下さい。(微笑)伴天連のあなたを疑うのは、盗人のわたしには僭上でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世に罰が下る筈です。
 もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある凩の真夜中です。わたしは雲水に姿を変えながら、京の町中をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その…

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