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支流
しりゅう
作品ID5003
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆33 水」 作品社
1985(昭和60)年7月25日
入力者門田裕志
校正者氷魚、多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-06 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 此方から見ると対岸の一ところに支流の水のそそいでゐるのが分かる。其処迄は相当の距離があるので、細部は見えないがやはり一つの趣があるやうに見える。即ち、直線的な一様な対岸が其処で割れてゐるのだから、割目の感といつたらよいかも知れない。併しその支流は極めて小さいもので、人々の注意する程度にも至つてゐない。
 晩秋のある日、自分は病後の体を馴らすために、対岸、つまりその支流のそそいで居る側の岸近くを歩いて、桐の木だの、胡桃の木だの、その他の雑木のあるところの日陰に腰をおろして休み休み、なほ歩いて行つた。自分は腰をおろして休むと眠気が出る、さういふ時にはうたたねをする。もう冬外套を著てゐたので、顔をひくくして外套の襟のところにうづめるやうにして眠る、十五分間も眠ればまた起きて歩みだすといふ具合である。歩く道は極めて細いけれども、兎も角農民がその道に頼つて歩くと見えて辛うじて道の形態をなしてゐる。道は最上川の流と稍離れてついて居り、その間は汎濫帯で少し増水すると其処に浸水するやうになつて居る。其処には萱だの川柳などが生えてゐる。
 その細い道の一方(最上川の流と反対側)は畑になつてゐて、豆類の収穫はもう了つて居る。桐や其の他の木からはしきりに落葉してゐる。なほ歩いて行つた。最上川増水の時に出来たらしい、ほら穴のやうな処があつたり、流の跡のやうな処があつたりして、とうとう川に突当つた。川は幅稍ひろく、水は浅く底の砂が透いて見える。底は砂であるから水が激するといふことがない。両岸が思つたより高く、小さいながら水面まで一つの断崖をなして居る。断崖には雑草が密生してゐて紅葉して居る。これをもつと大きい山水に拡大すると一つの大きい谿谷とおもふことも出来る。細い道は其処に極まる。
 これは、前言した支流の川口ではあるまいか、かう自分は思つて、川柳の藪をかき分けて行くと果してさうであつた。この支流の川口であつた。この支流の水が大きい最上川にそそいでゐるところであつた。自分はその川口のところに降りて行つた。
 水は小さいデルタらしいものを作らうとして作りきれず、その両側の水は先づ形容すれば潺湲として流れて居る。自分にはこの漢熟語は未だ活きて居るが、自分の孫ぐらゐの時代になると、もはやかういふ熟語はその語感が活きてゐないだらう。然らば、ただ、音をたてて流れてゐるとだけに表はすだらう。そこを通つた水は合流して、一つの小さいいきほひをなして最上川にそそぐのである。岸には砂が溜まり、小さい砂丘の如き形をなしたところもあり、増水のときに水に浸つたのが未だ乾ききれずに、自分の穿いたゴム靴が度々ぬかつた。其処の砂地の下に石原になつたところがある。これはもつとひどい増水の時に出来た石河原であらう。砂の上には鶺鴒らしい鳥の足跡などがある。かくの如くにして川幅のひろい、平明な最上川の水に合流してゐるの…

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