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金華山
きんかざん
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者雪森
公開 / 更新2018-05-29 / 2018-04-26
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

上野公園の新緑に送られて、來て鹽釜神社に詣づれば、祠側の鹽釜櫻、笑つて我を迎ふ。一株の老櫻、倒れむとして、また起つ。八重の瓣内に葉を出すこと、他に比類なし。海内たゞ一本の珍木と、もてはやさるゝもの也。祠は鹽釜町外れの丘上にあり。古檜老杉欝として、百餘級の石磴を夾む。祠宇宏壯、おのづからこれ東北第一のやしろ也。安産の守札世に名高し。親戚の女に孕れるものあり。その母われに囑して、鹽釜に行かば安産の守札うけて來てくれよと云ひけるまゝに、五枚ばかり買ひぬ。一枚の紙片、よく幾千萬の産婦をして、安心せしめたりけむ。世に醫藥のみが病をなほすと思ふものあらば、とんでもなき間違ひ也。病を起すも氣也、病をなほすも亦氣也。加持祈祷、守札、百度參りなど、その効幾んど醫藥に下らず。かの迷信を排斥するだけの智識ありて、死生の間に超脱する丈の悟道なき一知半解の徒、一朝重き病に罹れば、みづからもだえて死するこそあはれなれ。
 鹽釜町のまんなかに、釜神社あり。鹽土老翁を祀る。祠側に四個の古釜を置く。圍ありて見るべからず。社務所に一錢投ずれば、扉ひらき、釜あらはる。傳ふらく、上古、鹽土老翁この浦に下りて、民に鹽を燒くことを教へし時、用ゐしもの即ち是れなりと。
 釜神社と一町ばかり隔たれる處、民家の裏に牛神社といふ小祠あり。祠前の小池の中に牛石ありて、牛の形をなすと云へど、水多くして石見えず。傳ふらく、鹽土老翁が鹽を燒きし時、つかひし牛なりと。釜もなほあやしきに、牛石に至つては、滑稽の極也。
 請ふ、余をして、暫らく鹽釜の過去を回顧せしめよ。むかし千賀の浦と云へば、陸奧の歌枕の一つなりき。鹽釜の浦一に千賀の浦とも云ふ也。曲浦深く陸地に入ること數十町、鹽釜祠下、漁戸數十、浮世を山と海とに遮りて、魚網夕陽に晒し、扁舟蘆荻の間に浮び、八十島かけて澄む月影と共に、漁人の心もいかばかり澄みたりけむ。かゝる塵外の仙境も、伊達政宗仙臺を鎭するに及びて、頓に其の面目を革めぬ。嗚呼この河東の獨眼龍、啻に軍備の雄なるのみならず、また心を殖産工業にもそゝげり。政宗は漁村の鹽釜を變じて、一の港となしぬ。植民に先つて必要なるは女なることも悟りけむ。こゝに妓館を設くることを許しぬ。こゝに至りて、商家蜒居と接し、商船漁舟と竝び、絃歌欸乃に交れり。浪の浮寢の寂寞に堪えへざりし舟人、こゝに上り來りて、さんざしぐれを誦して、粹な殿樣と謳歌したりけむ。政宗は更に、鹽釜より南へかけて運河を開きぬ。深さ丈餘、幅七八間、陸前海岸の平野に延びて、名取川を貫き、阿武隈川の川口に至りて止む。その長さ十數里に及べり。此の運河を貞山堀と稱するは、政宗の謚號に取れる也。この貞山堀今もなほ存す。明治十四年修鑿して、舟楫の便少なからず。斯ばかり伊達氏の保護をうけて、榮えしが、明治の世に至りて、その保護なくなり、港内淺くなりて、大船入らず。鹽釜の命脈絶えて…

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