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双葉山
ふたばやま
作品ID5004
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻2 相撲」 作品社
1991(平成3)年4月25日
入力者門田裕志
校正者氷魚、多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-25 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 強い双葉山が、四日目に安芸ノ海に負け、五日目に両国に負け、六日目に鹿島洋に負けたので、贔屓客が贔屓するあまり、実にいろいろの事をし、医者の診察をすすめたり、心理学の大家の説を訊いたり、いろいろの事をしてゐる。
 当の双葉山関はどうかといふに、自分でもそんなに粗雑な相撲を取つてゐるとはおもはぬし、体の調子もそんなに悪いとはおもはぬのに、『どうして負けるのか自分でも解りません。負け癖がついたんでせう』と云つてゐる。
 歌舞伎座の菊五郎丈が大に双葉山に同情して語つたなかに、『あの人のことだから、きつと大事に相撲をとつたにちがひないが、相手は総がかりで双葉山を研究してゐるし、敢て油断とはいはないが、そこに何かあるのではないか』云々といふことを云つてゐた。
 この、『総がかりの研究』云々といふのは、旨いことを云つたもので、太刀山の強かつた時分には、どの部屋の力士も、みんな太刀山をどうして負かし得るかといふ工夫ばかりしてゐた。そこで栃木山が太刀山に勝ち、大錦が太刀山に勝つたのも、その取り口をこまかく調べると、太刀山の相撲の癖を、実にまんべんなくおぼえて、その虚に乗じたものであつた。
 今度の双葉山の場合は、自分はこのごろ相撲に遠ざかつたので、よく訣をしらないが、太刀山の場合は、正面から順当に行つたのでは、どうしても勝味のないものであつた。そこで何かの虚をねらつてその虚を衝いたものである。して見れば、双葉山の場合も、もうそろそろさういふ状況にあつてもいい頃だとおもへる。大勢がたかつて双葉山を調べるなら、何かの『虚』が出て来る筈だからである。この『虚』の問題も、今回の敗因の一つと考へ得るだらう。併し、私はそれよりも身体的の原因に重きを置かうとしてゐる。私は、双葉山の罹かつたアメーバ赤痢といふのを、双葉山自身よりも、ほかの双葉山批評家よりも、余程重く考へてゐるものである。
 一月十九日(二十日附)の読売新聞の第二夕刊で、長谷川如是閑氏は、いろいろ考察したうへに心理的効果に重きを置き、『然るにある動因からその地位が転倒すると事態は正反対に逆転する。双葉の最初の敗因が何であつたにせよ。それは事態を逆転させる機会となつた。ために両者の心理的効果は逆になつて、双葉の十分の力は八分にしか作用しなくなり、相手の十分の力が十二分に働くこととなつた。それが連敗の因である。さればその心理的効果のとり戻しが、力のとり戻しの先決問題である』といつてゐる。また文壇きつての相撲通尾崎士郎氏も一月二十日の朝日新聞で、やはりこの問題に触れ、『私はこの一番こそ双葉山にとつてあたらしい運命の方向を暗示するものであつたと考へる』、『私の見解をもつてすれば、肉体的な問題よりも今日の土俵は彼の運命が自然に辿りつくべき境地へ辿りついただけのことである』。『双葉フアンは、彼の目方が前場所に比べて三貫目減つてゐたところ…

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