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筬の音
おさのおと
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆25 音」 作品社
1984(昭和59)年11月25日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

わが車は、とある村に入りぬ。
軒ごとに吊りほせるかけ菜の、あるかなきかの風にゆらめきて、鶏のこゑ、長閑にきこゆ。
轍におこる塵かろく舞ひ、藪ぎはの緋桃の花、ほろり/\散る。高安の春、いま闌なり。
いつしか、村をはなれつ。から/\と軋り行く[#挿絵]の右左、みだれ咲く菜の花遠くつゞきて、蒸すばかり立ちのぼる花の香の中を、黄なる、白き、酔心地に蝶の飛びては憩ひ、いこひてはとぶ。いづこともなく、筬のおときこゆ。
見れば、わが行く手にあたりて、常緑樹の森あり。音は、其方より聞え来るなり。
此音を耳にして、われは、ゆくりなくも、旧き記憶をよびおこして、回想の忘れ路をたどりぬ。
恋の淵・峯の薬師・百済の千塚など、通ひなれては、そなたへ足むくるもうとましきに、折しも秋なかば、汗にじむまで晴れわたりたる日を、たゞ一人、小さき麦稈帽子うち傾けて、家を出でつ。
山鳩の、梢に羽ぶく音だに聞ゆる淋しき山路を、「あゝ正成よ」など、高らかにうたひつゝ登る。
この道は、平群の櫟本へ出づるなりとか。
もみぢにはまだしけれど、聞きおよぶ竜田へは二里をこえずと、よべ乳母の語れるに、いでさらばと志しゝなりき。
行けど/\山かさなりて、峠なほ遥かなるに、日はゝや大阪の海に傾きかゝり、大空は、いよゝ青ずみて、行きかふ雲だになし。
夕べの山路には、人かどふ神の出るものよと聞けりしかば、暮れはてぬ程にともと来し道をひたくだりに走せくだる。
山の尾をいくめぐり、谷にそひ、谷をわたり、森のかげ路のをぐらきには、落葉ふむ跫音にもおびえつゝ、やゝ里近くなりたる処に、山畠の陸稲の、方一反、波うちかへすが中に交りて、大きなる柿の木の枝もとをゝに実りたるが、折からの入日をうけて立ちたる。と見れば、その木の本に小家ありて、其内より機おり唄のきこえ来るならずや。
ひそ/\と忍びよりて障子の穴よりうかゞふに、さだすぎたる女の、頬にみだれかゝる髪かきもあげで、泣きてはうたひ、唄ひては泣き、何になくらむ、かなしげにうたへるなりき。
様は遠州浜名の橋よ、いまはとだえて音もせぬ。
さては此女、柿主なりなと思ひつゝ、手ごろの石拾ひあつめ、柿の木にむかひてうちつくるに、二つ三つ四つ、がさ/\と音して、叢にまろび落ちたるを、袂におしいれて、立ち上らむとする時、「たそ」と咎むる声して、障子さとうち開き、見いだしたるは、かの女なりき。
一目見るより、われは背戸のふし垣ふみこえて、走り出でぬ。
後につゞく音するに、顧れば、さをなる顔にほつれ毛うちみだし、細き目に涙たゝへたる柿主の女の追ひ来しなりき。
われは立ちすくみぬ。
女は近よりて、やにはにわが手をぐと把りぬ。われは恐れと羞恥とに、泣かむとせしも、辛うじて涙かくしぬ。
握られたる手には、女のはげしき呼吸にうち震ふ肩のをのゝきの、伝ふならずや。
若子、今うち落しゝ物、かへし給へ。
こはき顔し…

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