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金時計
きんどけい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成1」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年8月22日
初出「侠黒兒」少年文學、博文館、1893(明治26)年6月28日
入力者門田裕志
校正者清角克由
公開 / 更新2014-09-25 / 2014-09-25
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



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一 拙者昨夕散歩の際此辺一町以内の草の中に金時計一個遺失致し候間御拾取の上御届け下され候御方へは御礼として金百円呈上可仕候
月  日               あーさー、へいげん
 これ相州西鎌倉長谷村の片辺に壮麗なる西洋館の門前に、今朝より建てる広告標なり。時は三伏盛夏の候、聚り読む者堵のごとし。
 へいげんというは東京……学校の御雇講師にて、富豪をもって聞ゆる――西洋人なるが、毎年この別荘に暑を避くるを常とせり。
 館内には横浜風を粧う日本の美婦人あり。蓋し神州の臣民にして情を醜虜に鬻ぐもの、俗に洋妾と称うるはこれなり。道を行くに愧る色無く、人に遭えば、傲然として意気頗る昂る。昨夕へいげんと両々手を携えて門前を逍遥し、家に帰りて後、始めて秘蔵せし瑞西製の金時計を遺失せしを識りぬ。警察に訴えて捜索を請わんか、可はすなわち可なり。しかれども懸賞して細民を賑わすにしかずと、一片の慈悲心に因りて事ここに及べるなり、と飯炊に雇われたる束髪の老婦人、人に向いて喋々その顛末を説けり。
 渠は曰く、「だから西洋人は難有いよ。」
 懸賞金百円の沙汰即日四方に喧伝して、土地の男女老若を問わず、我先にこの財を獲んと競い起ち、手に手に鎌を取りて、へいげん門外の雑草を刈り始めぬ。
 まことや金一百円、一銭銅貨一万枚は、これ等の細民が三四年間粒々辛苦の所得なるを、万一咄嗟にこの大金を獲ば、蓋し異数の僥倖にして、坐して半生を暮し得べし。誰か手を懐にして傍観せんや。
 翌日はとみに十人を加え、その翌日、またその翌日、次第に人を増して、遂に百をもって数うるに到れり。渠等が炎熱を冒して、流汗面に被り、気息奄々として労役せる頃、高楼の窓半ば開きて、へいげん帷を掲げて白皙の面を露し、微笑を含みて見物せり。
 かくて日を重ねて、一町四方の雑草は悉く刈り尽し、赤土露出すれども、金時計は影もあらず。
 草刈等はなお倦まず、怠らず、撓まず、ここかしこと索れども、金属は釘の折、鉄葉の片もあらざりき。
 一家を挙げ、親族を尽し、腰弁当を提げて、早朝より晩夜まで、幾日間炎天に脳汁を煮られて、徒汗を掻きたる輩は、血眼になりぬ。失望してほとんど狂せんとせり。
 されど毫も疑わざりき。渠等はへいげん君の富かつ貴きを信ずればなり。
 渠等が労役の最後の日、天油然と驟雨を下して、万石の汗血を洗い去りぬ。蒸し暑き雑草地を払いて雨ようやく晴れたり。土は一種の掬すべき香を吐きて、緑葉の雫滴々、海風日没を吹きて涼気秋のごとし。
 へいげんこの夕また愛妾を携えて門前に出でぬ。出でて快げに新開地を歩み行けば、松の木蔭に雨宿りして、唯濡れに濡れたる一個の貧翁あり。
 多くの草刈夥間は驟雨に狼狽して、蟻のごとく走り去りしに、渠一人老体の疲労劇しく、足蹌踉いて避け得ざりしなり。竜動の月と日本のあだ花と、相並びて我面前に来…

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