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西航日録
せいこうにちろく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「井上円了・世界旅行記」 柏書房
2003(平成15)年11月15日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2010-12-31 / 2014-09-21
長さの目安約 89 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

序言


 本書は余が欧米漫遊の途中、目に触れ心に感じたることをそのまま記して、哲学館出身者および生徒諸子に報道したるものにして、これを別冊に刻して世間に公にすることは、最初より期せしところにあらず。しかるに、このごろ哲学館同窓会諸氏、強いてこれを印刷せんことをもとめらる。余、ついにその請いをいれて、これを同窓会に寄贈することとなす。書中記するところの詩歌のごときは、抱腹に堪えざるもの多きも、笑うもまた肺の薬なりと聞けば、読者の肺を強くするの一助ともならんと思い、これを削除せずしてそのまま印刷に付することとなせり。一言もって巻首に冠す。
  明治三十六年十一月二十日
井上円了 しるす
[#改ページ]

西航日録


一、再び西航の途へ
 明治三十五年十一月十五日、余再び航西の途に上らんとし、午前八時半、新橋を発す。ときに千百の知友、学生の余が行を送るありて、汽笛の声は万歳の声にうずめられ、秋雨蕭々のうちに横浜に着す。ときに拙作二首あり。
  留別
力学多年在帝都、始知碌碌読書愚、欲扶後進開文運、再上航西万里途。
(学問の修得につとめて多くの歳月を東京ですごし、はじめて役にもたたぬ読書の愚かさを知った。わが国を後進より救い学問・文化の気運をさかんにしようと願い、ふたたび西方への航路万里の途についたのであった。)
  新橋発車
決意一朝辞帝京、学生千百送吾行、鉄車将動煙先発、万歳声埋汽笛声。
(意を決してこの日東京に別れを告げる。ときに学生千余人がわが旅立ちを送ってくれた。汽車の動かんとするに煙がまず噴き上がり、万歳を叫ぶ声が発車の汽笛をかき消すのであった。)
 正午十二時、天ようやく晴る。知友と袂をわかちて港内より発錨す。汽船は若狭丸と号し、六千二百六十トンの大船なり。晩来風浪少しく起こり、船体ために微動せるも、かえって催眠の媒介となり、遠灘七十三里は一夢のうちに過ぎ去り、暁窓近く紀南の諸山に接見す。午後、神戸入津。哲学館得業生潮田玄乗氏来訪あり。翌十七日午前上陸、県知事服部一三君および特別館賓伊藤長次郎氏を訪問す。午後伊藤氏、余を送りて本船に至る。当夜四面雲晴れ、明月天に懸かり、波間の清数点の船灯と相映じ、湾内の風光筆紙のよく尽くすところにあらず。余、船中にありて「阜頭明月情如満、不照江山照我心」(埠頭の明月は満月のごとく、江山を照らさずしてわが心を照らす)とうそぶけり。十八日滞泊、十九日正午出帆、二十日朝門司着。哲学館出身者泉含章氏、小艇をもって出でて迎うるあり。余これに移りて馬関に上陸し、泉氏の宅にて丘道徹氏および山名、西尾等の諸氏に会す。
二、シャンハイ上陸
 二十一日未明、門司解纜。海上風波あり。西航五百里、シャンハイ河口なる呉淞に達せしは二十二日夜半なり。翌朝八時小汽船に駕し、黄浦をさかのぼりてシャンハイに上陸し、城内城外を一巡し、湖心亭茶園・愚園…

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