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門松のはなし
かどまつのはなし
作品ID5013
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆1 一月の花」 作品社
1998(平成10)年11月30日
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-02 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

正月に門松を立てる訣を記憶してゐる人が、今日でもまだあるでせうか。此意義は、恐らく文献からは発見出来ますまい。文化を誇つたものほど早くに忘れてしまうた様です。僅に、圏外にとり残された極少数の人達の間に、かすかながら伝承されてゐる事があるので、それから探りを入れて、まう一度これを原の姿に還し、訣ればその意義を考へて見たいと思ふのです。
今日では、門松の形が全国的に略きまつてしまひましたが、以前は、いろ/\違つた形のものがあつたのです。今日の様な形に固定したのは、江戸時代に、諸国の大名が江戸に集つた為に、自然と或一つの形に近づいて行つたのだと思ひます。或は、今日の形は、当時最勢力のあつたものの模倣であつたかも知れません。
絵で見ますと、江戸時代のものにも、葉のついたまゝの竹が、松よりも高く立てられてゐるのもあり、松だけのものもあり、更に変つた形のものもあつたらしいので、「松枯れで、武田首なきあした哉」の句は、松平と武田とを諷したのでせうが、形が、略今日東京で立てるのと似てゐた様に思はれます。
今日東京で立てますのは、削いだ竹が中心になつて、それに松があしらはれてゐるのが本式とされてゐます。今では、此形が全国的にまねられてゐるのですが、それでも、古い習慣を守つてゐる地方には、尚、お国風と見られる、松が主になつて、その根元に笹の葉が挿されてゐるもの、松だけが柱に結ひつけられてゐるもの、その他色々違つた形のものがあります。此らを見ますと、一体門松は、竹が中心なのか、松が中心なのか、と考へて見なければなりません。
しかし、ところによると、松も竹も立てないで、全然別のものを立てゝゐるところもあります。譬えば、箱根権現の氏子は、昔から、竹も松も立てないで、樒を立てます。此には伝説が附随してゐるので、箱根権現が山を歩いてをられるとき、松葉で眼をつかれた、それで氏子は必片目が細いと言ひ、松を忌むのだと言ふのですが、此様な話しは、諸国にある餅なし正月の話しなどゝ同じで、合理的な説明に過ぎません。今日の考へから言ひますと、樒は仏前のものになつてをりますから、それを門松の代りに立てるのは如何にもをかしいと思ひますが、昔は、榊が幾種もあつたので、樒も、榊の一種だつたのです。
それなら、何故榊を立てるかゞ問題になるのですが、かうした信仰は、時代によつて幾らも変つてをりますから、一概に言ふ事は出来ませんが、正月の神を迎へる招ぎ代であつたかとも見られます。さういふ考へも成り立たなくはないのです。しかしこゝには、まう少し正月に即した考へを立てゝ見ませう。
日本には、古く、年の暮になると、山から降りて来る、神と人との間のものがあると信じた時代がありました。これが後には、鬼・天狗と考へられる様になつたのですが、正月に迎へる歳神様(歳徳神)も、それから変つてゐるので、更に古くは、祖先神が来ると信じた…

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