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燃える電車
もえるでんしゃ
作品ID50156
著者片山 広子
文字遣い新字旧仮名
底本 「燈火節」 月曜社
2004(平成16)年11月30日
入力者竹内美佐子
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-11-22 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、二番目の車にも火が移つて、最前車は全焼、二番目は半焼し、この二台の車にいつぱい乗つてゐた乗客たちは火の中から脱け出さうとしても、ドアが開かず、百何十人かの男女、子供も赤んぼもみんな車内で焼死してしまつた。死者のほかにも重傷者軽傷者が大勢ゐた。わづか十分間ぐらゐの出来事で、後部の車三台の乗客三百余人は無事であつた。
 この惨事を起した直接の原因はちやうど架線がきれて垂れ下がつてゐるところへ電車がはいつて来て、すぐ屋根に火がついたらしく、その車が「六三型」であつたためにこんな大事になつたのだといふ。「六三型」といふのはどれもみんな六万三千台の番号がついてゐるので、戦争中は電線や器材が粗末のため事故が多かつたのを、昭和二十三年頃から大修理をしてほぼ戦前なみの車になつたと思はれてゐたが、屋根には松や杉なぞの板を張つて人目をごまかしてゐたので、すぐ火が燃えついたのだつた。それに窓はガラスを節約するため三段開きとなつてゐたのを、今もその儘だから急の場合に窓から逃げ出すことはぜつたいに不可能で、おまけに出入口のドアが中からは開かず、それも死者を多くしたのである。
 人間のたよりなさはこの恐ろしい事が起るその瞬間まで誰ひとりそれを予知することは出来ないのだつた。もしもえらい占ひ者がゐて二分か三分前にそれを言ひあてたところで、この場合どうすることも出来ない、もう遅すぎる、その人もけつきよくは一しよに死んでしまふだらう。それでは三十分も前にそれが分つたとして、それを信じてその車を避ける人はごく少数だらう。お互に、私たちみんながみんな畳の上で死ねるものと安心してゐるのは甘すぎる。
 今から二十余年前、昭和のごく初めごろ、私自身も一度その燃える電車に乗つたのだが、でも、私は幸運にも助かつた。その車の乗客たちもすつかりみんなが助かつた。みんなが幸運なのだが、それはうしろの車の乗客の誰かと一人の車掌の働らきに依つたのである。その時分は欧州大戦がをはつて、まだ第二の戦争のにほひもなく、世の中は無事平和、電車にも広い二等車がついてゐて、その料金も安かつた。蒲田大森大井の住人たちは大ていみんながこの二等車に乗つて往来してゐたのである。
 秋のはじめ、たぶん十月ごろ、私は新橋駅のホームで待つてゐるとひどく混んだ電車が来たからもう一台待つことにした。そこへ大森で永いおなじみの或る紳士が来て「あなたも今のにお乗りにならなかつたのですか、ひどく混んでゐましたね」と声をかけた。私たちはホームに立つて紅い西の空に浮ぶ富士を見てゐると、また車が滑りこんで来た。今度はらくに乗れて、今の紳士は長い二等車のずつと前の方に…

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