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ゆめ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 49」 筑摩書房
1973(昭和48)年2月5日
初出「奇蹟」1912(大正元)年10月
入力者岡本ゆみ子
校正者林幸雄
公開 / 更新2009-06-08 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 そとは嵐である。高い梢で枝と枝との騒がしくかち合ふ音が聞える。ばら/\と時折り窓をかすめて落葉が飛ぶ。だが、それ等は決して、老医師の静かな物思ひのさまたげにはならなかつた。天井の高い、ガランとした広い部屋の中の空気はヒヤ/\と可成冷たかつたが、彼は大きな安楽椅子に身を深く埋めてゐたから、それも平気であつた。それに物思ひと云つても、それは彼のこれまでの忙はしい生活に附きまとうてゐた様な、そんな種類のものとは全く趣きを異にした極めて呑気な、責任などと云ふものから全く離れたものであつた。
 膝の上にきちんと手を重ねて、半ば眼を閉ぢてうつら/\と取とめもなく思ひに耽つてゐるうちに急に彼の口元から頬のあたりへかけて軽い笑ひが浮んで来て、やがて眼がぱちつと開いた。そして暫時可笑しさを口の中にこらへて居たが、こらへ兼ねてとう/\噴き出して仕舞つた。
 それはかうである。ついこの二週間ばかり前のはなし、自分の第三の結婚式に臨む為めに上京して、その結婚披露の饗宴の卓上での出来事、――それが、今何かの関係からふと頭の中に浮んで来たのである。
 …………彼は、自分の前に運ばれて来た一片の鳥肉を食べようと思つて、覚束ない、極めて不調法の手附きで、しかも滑稽な程真面目な顔附をしてカチヤン/\と使ひつけないナイフを動かしてゐると、どうした機みにか余計な力がその手に這入つて、はつと思ふ間もあらせず、所もあらうにそれが彼の隣にゐた花嫁さんのパンの皿の中へ飛び込んで仕舞つたものだ……
 それは何時までもをかしかつた。しかし又老医師は考へた、自分は自分の老後にこの様な笑ひが自分の身の上に来ようなどとは、これまでにつひぞ思つて見た事さへなかつた。全く予想外な事なのであつた。自分にはこんな呑気な、伸々とした、楽な時間は一度も与へられずに生涯を終るものとのみ独りで定めてゐた。
 自分は選ばれなかつたのだ、かうした星の下に生れて来たのだ、半ばこんな風にも諦めて居た。
 彼には男四人女四人、都合八人の子供がある。内気な、正直な彼にはこれ等の八人の子供の父であると云ふ丈でも、単純な意味で自分の為めの生活なんて事は思ひもよらないのであつた。彼は自分の最も働き盛りの殆んど全ての歳月と精力とをその子供等の教育費や、それから娘たちの嫁入りの仕度の為めに費さなければならなかつた。

       二

 秋ももう半ばを過ぎ、このあたりではめつきり寒気が加はり、人の吐き出す息がはつきりと白く見えるやうになつてからの或るからつと晴れ渡つた朝、大勢の人足によつて、二百本あまりの見事な小松が老医師の裏の畑地へ運び込まれた。その日は老医師も朝早くから庭に出て、下男の権爺と二人で人足共の監督をしたりした。
 その翌日から急に老医師の家は、ごた/\賑かに取りこむやうになつた、植木屋が毎日つめかける、人足が来…

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