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歌の話
うたのはなし
作品ID50194
著者折口 信夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「歌・俳句・諺」 復刻版日本児童文庫、名著普及会
1982(昭和57)年10月20日
入力者しだひろし
校正者沼尻利通
公開 / 更新2015-05-30 / 2015-04-08
長さの目安約 71 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

歌の話について

 この度、高濱虚子さん・柳田國男先生[#ルビの「やなぎだくにをせんせい」はママ]と御一しょに、この一部の書物を作ることになりました。その高濱さんの御領分の俳句と同樣に、短歌といふものは、ほんとうに、日本國民自身が生み出したもので、とりわけ、きはめて古い時代に、出來上つてゐたものであります。さうして、それが偶然、私の先生でもあり、またあなた方のこの文庫におけるおなじみでもある、柳田國男先生[#ルビの「やなぎだくにをせんせい」はママ]がお書きの諺の成り立ちとも、原因が竝行してゐるのは、不思議な御縁だとおもひます。

一、短歌の起り

 短歌は、唯今では一般に、うたといつてゐます。けれども大昔には、うたと名づくべきものが多かつたので、そのうち、一番後に出來て、一番完全になつたものが、うたといふ名を專らにしたのであります。
 かういふと、不思議に思ふ方があるかも知れません。あなた方の御覽の書物には、たいてい短歌の起りを、神代のすさのをの尊のお作からとしてゐるでせう。もちろんこれは、古くからのいひ傳へで、あなた方が、古代と考へてゐられる奈良朝よりも、もつと/\以前から、さう信じてゐたのです。だからその點において、そのお歌が、第一番のものでなくとも、何も失望する必要はありません。
 短歌の出來るまでには、いろんな形をとほつて來てゐます。第一に、世間の人は、短い單純なものが初めで、それが擴がつて、長い複雜なものとなるといふ考へ方の、癖を持つてゐます。ところが、物質の進化の方面と、精神上のことゝは反對で、複雜なものをだんだん整頓して、簡單にして行く能力の出來て來ることが、文明の進んでゆくありさまであります。短歌などもそれで、日本の初めの歌から、非常な整頓が行はれ/\して、かういふ簡單で、思ひの深い詩の形が、出來て來たのであります。

二、諺と、歌と

 今の人の、考へることの出來ないほど古い、遠い祖先の時代には、稱へ言といふものがありました。それが、も少し進むと、ものがたりといふものになつて來ました。さうして、この二つながら、竝んで行はれてゐました。その稱へ言が、今日でも、社々の神主さんたちの稱へる、祝詞なのであります。この二つの言葉は、元、日本古代の神樣のおつしやつた言葉として、信じられてゐたのですが、そのうち、だん/\その言葉のうちにもつと、押しつめた短い部分を、神樣の言葉と考へ、その外の言葉を、輕く考へて來る傾きが出來て來ました。だから稱へ言のうちにも、神のお言葉があり、ものがたりのうちにも、神のお言葉が挿まれてゐるもの、と考へ出したのであります。この稱へ言のうちのある部分が、諺となり、ものがたりの肝腎な部分が、歌となつたのであります。神樣と申し上げる方は、尊くもありまた、恐ろしくもある方で、われ/\の祖先におつしやつた言葉は、祖先の人たちが恐れ愼し…

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