えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

父帰る
ちちかえる
作品ID502
著者菊池 寛
文字遣い新字新仮名
底本 「菊池寛 短篇と戯曲」 文芸春秋
1988(昭和63)年3月25日
入力者真先芳秋
校正者野口英司
公開 / 更新1999-01-01 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

人物
 黒田賢一郎     二十八歳
 その弟  新二郎  二十三歳
 その妹  おたね  二十歳
 彼らの母 おたか  五十一歳
 彼らの父 宗太郎

 明治四十年頃

 南海道の海岸にある小都会
情景 中流階級のつつましやかな家、六畳の間、正面に箪笥があって、その上に目覚時計が置いてある。前に長火鉢あり、薬缶から湯気が立っている。卓子台が出してある。賢一郎、役所から帰って和服に着替えたばかりと見え、寛いで新聞を読んでいる。母のおたかが縫物をしている。午後七時に近く戸外は闇し、十月の初め。

賢一郎 おたあさん、おたねはどこへ行ったの。
母   仕立物を届けに行った。
賢一郎 まだ仕立物をしとるの。もう人の家の仕事やこし、せんでもええのに。
母   そうやけど嫁入りの時に、一枚でも余計ええ着物を持って行きたいのだろうわい。
賢一郎 (新聞の裏を返しながら)この間いうとった口はどうなったの。
母   たねが、ちいと相手が気に入らんのだろうわい。向こうはくれくれいうてせがんどったんやけれどものう。
賢一郎 財産があるという人やけに、ええ口やがなあ。
母   けんど、一万や、二万の財産は使い出したら何の役にもたたんけえな。家でもおたあさんが来た時には公債や地所で、二、三万円はあったんやけど、お父さんが道楽して使い出したら、笹につけて振るごとしじゃ。
賢一郎 (不快なる記憶を呼び起したるごとく黙している)……。
母   私は自分で懲々しとるけに、たねは財産よりも人間のええ方へやろうと思うとる。財産がのうても、亭主の心掛がよかったら一生苦労せいで済むけにな。
賢一郎 財産があって、人間がよけりゃ、なおいいでしょう。
母   そんなことが望めるもんけ。おたねがなんぼ器量よしでも、家には金がないんやけにな。この頃のことやけに、少し支度をしても三百円や五百円はすぐかかるけにのう。
賢一郎 おたねも、お父さんのために子供の時ずいぶん苦労をしたんやけに、嫁入りの支度だけでもできるだけのことはしてやらないかん。私たちの貯金が千円になったら半分はあれにやってもええ。
母   そんなにせいでも、三百円かけてやったらええ。その後でお前にも嫁を貰うたらわしも一安心するんや。わしは亭主運が悪かったけど子供運はええいうて皆いうてくれる。お父さんに行かれた時はどうしようと思ったがのう……。
賢一郎 (話題を転ずるために)新は大分遅いな。
母   宿直やけに、遅うなるんや。新は今月からまた月給が上るというとった。
賢一郎 そうですか。あいつは中学校でよくできたけに、小学校の先生やこしするのは不満やろうけど、自分で勉強さえしたらなんぼでも出世はできるんやけに。
母   お前の嫁も探してもろうとんやけど、ええのがのうてのう。園田の娘ならええけど、少し向うの方が格式が上やけにくれんかも知れんでな…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko