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詩と其の伝統
しとそのでんとう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
初出「文学界」1934(昭和9)年7月号
入力者村松洋一
校正者小林繁雄
公開 / 更新2009-06-14 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 何時誰から聞いたのだつたか覚えないが、かういふことを聞いたことがある。
 山奥の村に、新しく小学校が設けられる。小学校では、毎年創立記念日に学童の作品展覧会が催される。尋常五年生は毎年関東地方の地図を出品するといふことになる。最初の年には三ちやんが一等賞になる。二年目には五※[#小書き片仮名ン、40-5]ちやんが一等賞をとる。かうして五六年目頃までは、年々、一等は一等でもその一等が目に見えて立派さを加へて行くのだが、その五六年を過ぎてしまふと、一等賞の関東地方の地図は年々おんなじ位の出来栄となり、もうその村が格段開けるとかなんとかしない限り、その出来栄は大体変らないといふのである。
 詩も亦寔にそのやうである。最初の年の一等賞の三ちやんがゐたので、二年目の五※[#小書き片仮名ン、40-9]ちやんは何か得をするのである。それは理論や練習の問題ではない。すべて技の進歩といふものは、見やう見真似で覚えることから発するのである。つまり思念だけでは足りない、思念と物質とが一緒になつて働いてゐるところとか、その結果を見覚えるとかすることが勘甚なのである。インスパイヤーされるとは、蓋しそのことであらう。
 ところで、他の事ではいざ知らず芸術では伝統といふものは大変有難いものである。それを肯定するにしても否定するにしても、まづそれがあつてのことなのである。
 扨、日本の詩の伝統はと見ると、(茲では明治初年井上博士に依つて新体詩と銘名された、泰西の詩を見てから後の詩のことを云ふ)余り豊富だと云ふことが出来ない。おまけにそれが短歌や俳句の延長でなしに、純然たる詩の様態を持してゐたのならばともかくも、事実それは屡々短歌や俳句の延長であつたといふか、それらの形の崩れたものであつた。短歌や俳句がちやんとした娘ならば、詩の多くは云つてみればおひきずりであつた。而も兎も角も詩の格を備へたものは、概して概念的であつた。
 何れにせよ、わが詩の伝統は未だ微々たるものである。而して「伝統がない」、謂はば「型がない」とか「見本がない」とかいふやうなこと程、詩人にとつて辛いことはないのである。詩人が辛いばかりではない。読者も亦辛いのである。――とまれ無形の期待なぞといふものはない。期待がこれと口に云へない場合にも期待がある限り期待が期待してゐるなんらかの型、といふものはあるのである。つまり予想出来るその型がないので、大衆の方では詩人に期待しようがものはないのである。するとなると、今度はそのことは詩人にとつて辛いのである。詩人が孤立するからといふのではない。芸術といふものが、普通に考へられてゐるよりも、もつとずつと大衆との合作になるものだからである。
 これを短歌や俳句の場合でみると、大衆は今後歌人なり俳人が書いて呉れようと呉れまいと、書いて呉れるとすればどういふ「型」のものを書いて呉れるかゞ分つ…

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