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芸術論覚え書
げいじゅつろんおぼえがき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者shiro
公開 / 更新2018-04-29 / 2018-04-25
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一、「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。

一、名辞が早く脳裡に浮ぶといふことは尠くも芸術家にとつては不幸だ。名辞が早く浮ぶといふことは、やはり「かせがねばならぬ」といふ、人間の二次的意識に属する。「かせがねばならぬ」といふ意識は芸術と永遠に交らない、つまり互ひに弾き合ふ所のことだ。

一、そんなわけから努力が直接詩人を豊富にするとは云へない。而も直接豊富にしないから詩人は努力すべきでないとも云へぬ。が、「かせがねばならぬ」といふ意識に初まる努力は寧ろ害であらう。

一、知れよ、面白いから笑ふので、笑ふので面白いのではない。面白い所では人は寧ろニガムシつぶしたやうな表情をする。やがてにつこりするのだが、ニガムシつぶしてゐる所が芸術世界で、笑ふ所はもう生活世界だと云へる。

一、人がもし無限に面白かつたら笑ふ暇はない。面白さが、一と先づ限界に達するので人は笑ふのだ。面白さが限界に達すること遅ければ遅いだけ芸術家は豊富である。笑ふといふ謂はば面白さの名辞に当る現象が早ければ早いだけ人は生活人側に属する。名辞の方が世間に通じよく、気が利いてみえればみえるだけ、芸術家は危期に在る。かくてどんな点でも間抜けと見えない芸術家があつたら断じて妙なことだ。
 尤も、注意すべきは、詩人Aと詩人Bと比べた場合に、Bの方が間抜けだからAよりも一層詩人だとはいへぬ。何故ならBの方はAの方より名辞以前の世界も少なければ又名辞以後の世界も少ないのかも知れぬ。之を一人々々に就て云へば、10の名辞以前に対して9の名辞を与へ持つてゐる時と8の名辞以前に対して8の名辞を持つてゐる時では無論後の場合の方が間が抜けてはゐないが而も前の場合の方が豊富であるといふことになる。

一、芸術を衰褪させるものは固定観念である。云つてみれば人が皆芸術家にならなかつたといふことは大概の人は何等かの固定観念を生の当初に持つたからである。固定観念が条件反射的にあるうちはまだよいが無条件反射とまでなるや芸術は涸渇する。
 芸術家にとつて世界は、即ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、其の他如何なるモディフィケーションをも許容出来るものではない。彼にとつて「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、A=Aであるだけの世界の中に彼の想像力は活動してゐるのである。
 従つて、「面白い故に面白い」ことだけが芸術家に芸術の素材を提供する。恰も「これは為になる、故に大切である」ことが生活家に生活の素材を供する如く。

一、而も生活だけするといふことは出来るが、芸術だけするといふことは芸術家も人間である限り出来ぬ。かくて、其処に、紛糾は、凡そ未だ甞て誰も思つてもみなかつた程発生してゐるのであるが、そのことを文献は殆んど語つてゐないといふも過言ではない。かくて此処…

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