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校長
こうちょう
作品ID50240
著者中原 中也
文字遣い新字旧仮名
底本 「新編中原中也全集 第四巻 評論・小説」 角川書店
2003(平成15)年11月25日
入力者村松洋一
校正者shiro
公開 / 更新2018-02-04 / 2018-04-25
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 田舎の県立中学で歴史の教師をしてゐた彼が、今度京都の或私立中学の校長を勉めることになつた。頭は良くないが読書家で、読書以外の時間は常に気を揉んでゐなければ済まない男であつた。
 丈が低く、セカセカと腰から下だけで歩く、時折首が怖ぢ気のついたやうに揺れる。洋服の袖はまるで中に腕がないかのやうにポウとなつて胴より心持前に振ら下つてゐた。
 此の上に載つてる顔――額には動物園の猿のやうな皺が深く刻まれ、その皺と皺との間は筋肉がプクリと高い。色は浅黒く、脂ぎつてもゐる。鼻中隔の着際が生れたばかりの時突かれでもしたやうに窪んで、彼の癇高い声が而も鼻に掛かり、恰度山羊のそれのやうになるのは多分それが原因だらう。又それがために、彼の上唇の辺は見るからに不平の多い人間である。極く田舎の、孝行息によくある、不整で毛の長い眉を持ち、学校に少しでも関係のある者を見る時はその下の黒い瞳がキロリと動いた。白髪交りの荒い頭髪は何時も三四分位に刈揃へられ、さうした顔面の上に「ワ」の字型に懸つてゐた。薄曇りの空が針葉の間から隙いて見える、根を張り樹脂の多い、男松の印象を此の顔は与へた。

 彼を校長としてゐる中学は、京都市の私立中学では一番好いと云はれてゐる。彼が此の中学に転任と定つた際、最初此の学校のことゝして聞いたのはそのことであつた。然るに来てみると、彼の眼に映つた此の中学は目茶苦茶なものであつた。彼が今迄、田舎の中学にばかりゐたために一つにはさう思へたのだが、そんなことには気付かなかつた。
「これでは不可ない!」と第一日の日、彼は頭に思込んだ。「さあこれから、俺はこれを改めなくちや……」
 だが今迄のやうに、自分のすることは直ちに郡視学の耳に入り、県視学に聞達するやうなことは、都会ではあるし、それに私立中学のことだからないだらうと思はれた。市から少し離れた、田圃の中に建つ校舎の様が、茫然淋しく心に描かれてゐた。…………
 彼が此の中学に来てから三日目、登校して校長室に外套を掛けるや、勢き込んだ顔付で彼は教員室に這入つて行つた。彼は始業時間にもう十五分なのに、教師達がまだ半数しか出席してゐないのに先づ腹を立てた。
 朝の空気が尚冷々とした広い一室の右と左に、ズラリと縦に二列に教師達の粗末な机が並んでゐた。正面の窓から差込む朝日が、それ等の机の上の硝子で出来た印肉皿や、罫紙の上を薄く班らに流れてゐた。彼が這入つた時、教師達は誰も話をしてはゐなかつたが、それと知ると其処にゐた全部の者は一斉に、不馴れな人間に対する心意気のない、畏敬の表情を作つて差向けてゐた。彼はこれからしようと思つてゐる訓辞はまた後で、全部教師等の集つた上ですることにしようかとも一度は顧つたが、……もう堪らなかつた。
「皆さん!」と、彼の山羊のやうな声が響き渡つた。同時に彼自身にも分らぬ悔恨に似た情が、ギクリと頭蓋骨を…

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