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百日紅
ひゃくじつこう
作品ID50274
著者高浜 虚子
文字遣い新字旧仮名
底本 「花の名随筆7 七月の花」 作品社
1999(平成11)年6月10日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-13 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅といふ樹を見た。それ迄も見たことがあつたのかも知れないが、一向気がつかなかつた。成程百日紅といふ名前のある通り真赤な花が永い間咲いてゐるものであるわいとつく/″\其梢を眺めた。又さるすべりといふ別の名前のある通り木の膚のすべつこいものではあると、其皮の無いやうな膚をもつく/″\見た。
 其後百日紅といふ題で句作する時分に、私の頭の中では、真夏の炎天下にすべつこい肌を持つた木の真赤な花を想像するのであつた。さうして葉はどうかと思つたが、葉は全然眼に入らなかつたから無かつたのであらう、葉は花が散つた後に出るものであらうと考へてゐた。たゞぼんやりとさう考へてゐた。
 其後実際よその垣根や森の中などに百日紅の咲いてゐるのを見たことがあるが、唯百日紅が咲いてゐるわいと考へる許りで別に右の印象を訂正するやうなことにも出食はさなかつた。
 私の庭に百日紅を植ゑてからよく見て居ると、事実は全然間違つてゐた。葉が無いどころか、葉はあるのである。真赤な花は葉の先に咲くのである。それに真夏の炎天下にはまだ花をつけはじめた時分で花の盛りではないのである。
 先づ冬は唯枯木である。他の落葉する木と共に全く枯木であるが、唯肌のすべつこいのが特に目立つて見える。春の間は外の木が花をつけたり木の芽を吹いたりするに拘らず、素知らぬ風をして枯木のまゝである。夏の始になつても尚ほ枯木である。外の木が大方若葉を吹き出す頃になつても尚ほ枯木である。私の家の庭にある木の中では一番最後迄枯木の儘であつた。さうして外の木の若葉がもう若葉といはれぬ位、緑も濃い色になつた時分に漸く若葉らしいものを着けはじめた。もとからあつた枝に一応葉が揃つた時分に、新らしい枝がつい/\と出はじめて其枝にみづ/\と柔かい大きな葉が出はじめた。夏も末の頃になつて漸く新らしい枝のさきに白い粉の吹いたやうな莟が沢山につきはじめて、其の苔がほころびるとはじめて赤い花が咲くのであつた。其の赤い花は長い間咲いてをるが、其は夏の末から秋にかけて咲くのであつて、むしろ秋の部分が多いのである。
 実際庭に植ゑた百日紅を見て、はじめて右のやうなことが判つた。
 が、しかし席題に百日紅といふ題が出た時などは、ふと真夏の炎天下に真赤に咲いてゐる、葉の無い、花ばかりが梢にある、肌のつる/\した木を想像するのである。さうではなかつたと考へてもどうも其最初の印象がこびりついて居るのである。
 其最初の印象といふのは、子規に俳句を見てもらひはじめた時分のことである。一本の百日紅を、こんな変てこな、肌のすべつこい、真赤な花の群がり咲いてゐる木があるものかと、熱心に見上げてゐる若い自分の姿さへをもはつきりと思ひ浮べることが出来るのである。
(昭和六年九月)



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