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虫干
むしぼし
作品ID50287
著者永井 荷風
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆36 読」 作品社
1985(昭和60)年10月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-09 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 毎年一度の虫干の日ほど、なつかしいものはない。
 家中で一番広い客座敷の縁先には、亡つた人達の小袖や、年寄つた母上の若い時分の長襦袢などが、幾枚となくつり下げられ、其のかげになつて薄暗く妙に涼しい座敷の畳の上には歩く隙間もないほどに、古い蔵書や書画帖などが並べられる。
 色のさめた古い衣裳の仕立方と、紋の大きさ、縞柄、染模様などは、鋭い樟脳の匂ひと共に、自分に取つては年毎にいよ/\なつかしく、過ぎ去つた時代の風俗と流行とを語つて聞せる。古い蔵書のさま/″\な種類は、其の折々の自分の趣味思想によつて、自分の家にもこんな面白いものがあつたのかと、忘れてゐた自分の眼を驚かす。
 近頃になつて父が頻と買込まれる支那や朝鮮の珍本は、自分の趣味知識とは余りに懸隔が烈し過ぎる。古い英語の経済学や万国史はさして珍しくもない。今年の虫干の昼過ぎ、一番自分の眼を驚かし喜ばしたものは、明治初年の頃に出版された草双紙や綿絵や又は漢文体の雑書であつた。
 明治初年の出版物は自分が此の世に生れ落ちた当時の人情世態を語る尊い記録である。自分の身の上ばかりではない。自分を生んだ頃の父と母との若い華やかな時代をも語るものである。苔と落葉と土とに埋れてしまつた古い石碑の面を恐る/\洗ひ清めながら、磨滅した文字の一ツ一ツを捜り出して行くやうな心持で、自分は先づ第一に、「東京新繁昌記」と言ふ漢文体の書籍を拾ひ読みした。
 今日では最早やかう云ふ文章を書くものは一人もあるまい。「東京新繁昌記」は自分が茲に説明するまでもなく、寺門静軒の「江戸繁昌記」成島柳北の「柳橋新誌」に倣つて、正確な漢文をば、故意に破壊して日本化した結果、其の文章は無論支那人にも分らず、又漢文の素養なき日本人にも読めない。所謂鵺のやうな一種変妙な形式を作り出してゐる。この変妙な文体は今日の吾々に対しては著作の内容よりも一層多大の興味を覚えさせる。何故なれば、其れは正確純粋な漢文の形式が漸次時代と共に日本化して来るに従ひ、若し漢文によつて浮世床や縁日や夕涼の如き市井の生活の実写を試みやうとすれば、どうしても支那の史実を記録するやうな完全固有の形式を保たしめる事が出来なかつた事を証明したものと見られる。又江戸以来勃興した戯作といふ日本語の写実文学の感化が邪道に陥つた末世の漢文家を侵した一例と見ても差支へがないからである。
「東京新繁昌記」の奇妙な文体は厳格なる学者を憤慨させる間違つた処に、その時代を再現させる価値が含まれてゐるのである。此の如き漢文はやがて吾々が小学校で習つた仮名交りの紀行文に終りを止めて、其の後は全く廃滅に帰してしまつた。時勢が然らしめたのである。漢文趣味と戯作趣味とは共に西洋趣味の代るところとなつた。自分は今日近代的文章と云はれる新しい日本文が恰も三十年昔に、「東京新繁昌記」に試みられた奇態な文体と同様な、不純混…

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