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路地
ろじ
作品ID50292
著者永井 荷風
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆90 道」 作品社
1990(平成2)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-09 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鉄橋と渡船との比較からこゝに思起されるのは立派な表通の街路に対して其の間々に隠れてゐる路地の興味である。擬造西洋館の商店並び立つ表通は丁度電車の往来する鉄橋の趣に等しい。それに反して日陰の薄暗い路地は恰も渡船の物哀にして情味の深きに似てゐる。式亭三馬が戯作浮世床の挿絵に歌川国直が路地口のさまを描いた図がある。歌川豊国はその時代(享和二年)のあらゆる階級の女の風俗を描いた絵本時勢粧の中に路地の有様を写してゐる。路地は其等の浮世絵に見る如く今も昔と変りなく細民の棲息する処、日の当つた表通からは見る事の出来ない種々なる生活が潜みかくれてゐる。佗住居の果敢さもある。隠棲の平和もある。失敗と挫折と窮迫との最終の報酬なる怠惰と無責任との楽境もある。すいた同士の新世帯もあれば命掛けなる密通の冒険もある。されば路地は細く短しと雖も趣味と変化に富むこと恰も長編の小説の如しと云はれるであらう。
 今日東京の表通は銀座より日本橋通は勿論上野の広小路浅草の駒形通を始めとして到処西洋まがひの建築物とペンキ塗の看板痩せ衰へた並樹さては処嫌はず無遠慮に突立つてゐる電信柱と又目まぐるしい電線の網目の為めに、云ふまでもなく静寂の美を保つてゐた江戸市街の整頓を失ひ、しかも猶未だ音律的なる活動の美を有する西洋市街の列に加はる事も出来ない。さればこの中途半端の市街に対しては、風雨雪月夕陽等の助けを借るにあらずんば到底芸術的感興を催す事ができない。表通を歩いて絶えず感ずるこの不快と嫌悪の情とは一層私をして其の陰にかくれた路地の光景に興味を持たせる最大の理由になるのである。
 路地はどうかすると横町同様人力車の通れるほど広いものもあれば、土蔵または人家の狭間になつて人一人やつと通れるかどうかと危まれるものもある。勿論其の住民の階級職業によつて路地は種々異つた体裁をなしてゐる。日本橋際の木原店は軒並飲食店の行灯が出てゐる処から今だに食傷新道の名がついてゐる。吾妻橋の手前東橋亭とよぶ寄席の角から花川戸の路地に這入れば、こゝは芸人や芝居者また遊芸の師匠なぞの多い処から何となく猿若町の新道の昔もかくやと推量せられる。いつも夜店の賑ふ八丁堀北島町の路地には片側に講釈の定席、片側には娘義太夫の定席が向合つてゐるので、堂摺連の手拍子は毎夜張扇の響に打交る。両国の広小路に沿うて石を敷いた小路には小間物屋袋物屋煎餅屋など種々なる小売店の賑ふ有様、正しく屋根のない勧工場の廊下と見られる。横山町辺のとある路地の中には矢張立派に石を敷詰めた両側ともに長門筒袋物また筆なぞ製してゐる問屋ばかりが続いてゐるので、路地一帯が倉庫のやうに思はれる処があつた。芸者家の許可された町の路地は云ふまでもなく艶しい限りであるが、私はこの種類の中では新橋柳橋の路地よりも新富座裏の一角をば其のあたりの堀割の夜景とまた芝居小屋の背面を見る様子とから…

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