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河原の対面
かわらのたいめん
作品ID50321
著者小寺 菊子
文字遣い新字旧仮名
底本 「ふるさと文学館 第二〇巻 【富山】」 ぎょうせい
1994(平成6)年8月15日
初出「文章世界」1910(明治43)年4月号
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2011-05-01 / 2014-09-16
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 それは春とは云つても、まだ寒い頃であつた。北の海から冷々としたうら寂しい風が吹いて来て、空にはどことなく冬のやうな底重い雲が低く垂れ込めてゐた。庭の植込みを囲んであつた「雪除」がやつと取外されて、濃い緑色をした蘇鉄や棕櫚竹などが、初めて身軽になつたと[#「なつたと」は底本では「なったと」]いふ風に、おづ/\と枝を張り幹を伸して、快げに自分々々の身を持返した。さうして、時をり降りそゝぐ小雨が、しと/\と湿つぽい温気をもたらしてくると、ふと庭の隅々から小さな草の芽生を見出すことが出来た。それでも北国の春はやつぱり寒いのであつた。どんよりとした鉛色の重い雲にとざゝれた陰鬱な日が、幾日も/\打ちつゞいた。
 ある日――その日も朝から空が灰汁をまいたやうに薄暗くわびしげに曇つてゐた。その午後であつた。街から二里ばかり離れた村に住んでゐる源右衛門といふ男がお町の家を訪ねて来て、お町の父の為造と奥の座敷でひそ/\と何か話をしてゐた。二人の話が何となく家の人だちに或不安を与へた。為造にその頃さういふ風な内密らしいことが度々あつた。家の人だちはさういふ場合に接するのを、いつとなく虞れるやうになつてゐたのである。
 為造はこの一二年前に、ある投機的な仕事に手を出して大きな失敗をした。さうして、一時殆ど失神したやうになつて倒れてゐた彼は、ふと思ひついて金貸業をはじめたのであつた。彼は自分の莫大な損失に対する償ひを、貪欲と無慈悲との結果から産み出さうと決心した。彼は世間のあらゆる人々に対して、もはや全く血も涙も持たない、一個の守銭奴と化し去つたのである。
 源右衛門は最近に於ける負債者の一人であつた。彼は歯のまばらに脱け落ちた、人品のよくない、真黒に日に焼けた百姓爺であつたが、何処か生一本な、律儀さうな処の見える五十年輩の男であつた。その日二人はしめやかに話し合つてゐたが、その声が妙に低くさゝやくやうで、どうしても何か密談を凝らしてゐるとしか思へなかつた。さうして、二人の話は却々果てさうもなかつた。為造の妻のお幾は黙つて茶の間で針仕事をしてゐたが、とき/″\深い溜息を吐きながら、座敷の方に耳を傾けてゐた。
 やがて、しばらくすると、二人の話声が急に調子づいて来た。その揚句にだん/\と声高に罵り合ふやうになつた。お幾は姑のお八重と一緒にふと起つて、心配らしい顔を合はせながら襖の傍に身を摺り寄せた。その時に座敷の二人は突然取組合をはじめたのである。ドタン、バタンと二人の体が代る代るに襖に打突かつて、ピリ/\と唐紙の上に波動を浮かせた。源右衛門の口からは絶え間なく為造を罵る言葉が口穢なく吐出された。為造はそれを押し伏せるやうに、
「何ツ。」
 と叫びながら、源右衛門に激しく掴みかゝつた。
 お町はその時丁度、生れて間もない赤ん坊をお負つて悦んでゐたのであつたが、その騒ぎに驚いて、…

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