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加波山
かばさん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「総合文化」1947(昭和22)年1月号
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-10-21 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 桜井家の媒酌としてその村に行ってからことし九年ぶりになる。
 村は加波山事件の加波山の東麓にあたり、親鸞聖人の旧蹟として名高い板敷山のいただきは北方の村境であり、郡境ともなっている。
 九年まえに行ったときは東京で式を済ませて式服のまま自動車を牛久、土浦、石岡、柿岡と、秋晴の野を丘を走らせたから板敷山は越えない。かっきり暮れてから着いた。そしてもいちど村での式を挙げたのである。
 仲人の私のまえに五人の老人が、先頭は手ぶらで次は一升徳利を三人めは鯉のいきづくりの鉢を四人めは鶴亀の島台を捧げて、つぎつぎとあらわれては禿げた頭を物堅くさげ、みるみる品物と人々の位置が定まると、手ぶらと思った先頭の老人はいつのまにか二個の丹塗の大椀を手にしており、一つを膝そばに置き一つを捧げて私に差す。この地方の作法について新郎はなにひとつあらかじめ教えてくれてはいなかった。この五人の老人が徳川時代以来の五人組の遺風であるということもあとから教えてくれたのである。
 酒は一升徳利からその丹塗の大椀の底にちょっぴり注がれて、五人組総代と私の間の献酬である。やれやれと安心したら今度はもひとつの大椀を取って差出す。そしてなみなみと、両手が重く感じるまでに注ぎきった。
 二番目の老人が平鉢を前にすすめて、生作りの鯉の眼に醤油を注ぐ。鯉が正気をとり戻して平鉢の中で一はねすると、背中の割目から一寸大のさしみがこぼれ出るという仕組である。それを幾切れか小皿に盛って出す。満座無言のなかで、注ぎきられたのと差出されたのとどちらが先だったかいまは忘れたが、いきづくりを肴に飲み回しの儀式であると辛うじて私は了解した。新郎も私も当時『歴史科学』という雑誌の同人だったのだが、この村に五人組とともに残っている有職料理の作法などもとより知るべくもなかった。
 このたびは自動車どころではない。稲田の隣り福原という駅で汽車を棄て板敷山を南に越えて村に出る。自由大学の会員である二人の青年が出迎えてくれて、二台の自転車に私を挾むようにして暮れ方の坂道を登る。私の講座は明朝九時からで、会場は峠を下りきった所にある板敷山の大覚寺の本堂。今夜は桜井君を中心に座談会開催中で、その寺までゆくのだという。宵闇が道に垂れこめたところで、自転車にくくりつけた私の荷物が失われているのに気がついた。二人の青年はそれを探しに引きかえし、ゆくりなくも私は板敷山の宵道をただ一人で降り坂にとりかかった。
 もっともこれは本来ならばバスも通う道路であって、親鸞が稲田から鹿島行方に往返のたび越えたのは東寄りの山路であるそうな。本願寺の開基覚如の作になる『本願寺聖人親鸞伝絵』第三段には次のようにある。
「聖人常陸国にして、専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩はすくなく、信順の族はおほし。而に、一人の僧(山臥云々)ありて、動もすれば仏法に怨を…

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