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咸臨丸その他
かんりんまるそのた
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-06-21 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 太平洋をはじめて汽船が横断したのは――といった問題を、ひと頃しきりに調べたことがあった。といったのでは、呑気とも好奇とも思われようが、いったい考証というようなものは、前後の問題から切離してみたら、まったく気狂じみたはなしである。
 ところが、おかしなもので、はじめはある重要な歴史的関連を明らかにする目的から、――たとえば、この場合では幕末の日本開国を、米国の手で行わせる上に一つの役割をしたのが、横断太平洋汽船航路問題である――ということを明らかにする目的から、太平洋定期航路の発生をしらべはじめてみると、行掛り上その船名や、トン数やといった、いわばどうでもいいようなことがらまで気になってくる。
 だが、それでもまだ純粋に好奇的な考証趣味におちこんでしまったとは、かならずしもいえまい。
 たとえばある文献に最初の横断太平洋定期就航船は一八六五年(慶応元)で船は米国の太平洋郵船会社の「コスタリカ」、「ニューヨーク」、「オレゴニアン」、「ゴールデン・エージ」のうちのどれかだ、と書いてある。
 第二の文献には船名を挙げないで一八六七年にサンフランシスコから横浜に向ったとあり、第三の文献をみると、一八六七年の元旦にサンフランシスコを出て二十二日目に横浜に着いた「コロラド」がそれだとある。
 こうなってくると、いったいどれが正しいのか確定したい、ということになってくる。
 資料価値の検討、その他々々といろいろ試みるに従って、いつかしら定期航路といわず、およそはじめて太平洋を横断した船は何だ? というふうなことになって困るなと思いながら、そのくせ何とか納得がゆくまではいつまでもへんに頭の隅っこにこびりついてぬけない。いつのまにか問題の出発を忘れて、一見つまらないことに、それ自体のために、せんさくを試み出している。
 考証趣味などいうものは、所詮暇人のものであり、暇人でないとできっこないはずだが、われわれのように暇をもたぬ人間は、そのためかえって、そのわずかな暇または偶然に与えられた機会に盗みをするように、かねて気にかかっていたつまらぬことがらを大事件らしくひねくりまわすことができると、その瞬間だけはひどく暇持ちになったような、はなはだのんびりした気持になる。むろんこれまた阿片の類にちがいない。



 さて、はじめておよそ太平洋を横断した蒸気船は北太平洋ではなく南太平洋の出来事だ。一八五三年まで、一隻の汽船も太平洋を渡っていない。だがこの年一千トンの推進汽船「モニュメンタル・シティ」号(米国船)がサン・フランシスコからシドニーへ渡った。
 その所要日数七十五日は、立派な記録と評判されたが、彼女にこれ以上の記録を出す機会は与えられないでしまった。
 というのも、この船は合衆国へ引返さず、シドニー・メルボルン航路に廻わされたのだが、その一カ月後、シドニー、メルボルン間…

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