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黒船来航
くろふねらいこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「新しい世界」1953(昭和28)年7月号
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-05-18 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

中国制覇の足がかり

 阿片戦争(一八四〇―四二)で中国が開国した後は極東の一角日本を開けばこれで旧文明国を資本主義世界に開放する事業が完成するわけである。だから南京条約で、この次は日本の番だということはイギリスを先頭とする資本主義列強の常識であったばかりではなく、日本にとっても常識であった。しかもその客がどんな客人であるかはインドや中国を開国させた実績にてらして日本の愛国者にはよく分っていた。だからこそ林子平が『海国兵談』を出し、橋本左内は日本が「第二のインドになる」ことを恐れた。
 当時の資本主義は貿易第一主義を奉ずる自由経済の全盛期で、いわば資本主義の青年時代であったが、それですらインドや中国にたいする植民地化の戦争、その戦争のけっかとしての不平等条約と、その不平等条約によって保障された不当な利潤によって先進国の地位が保たれてきたのであった。
 問題はどうしてアメリカが日本開国の先鞭をつけたかであるが、それは一言でいえば中国貿易でイギリスに勝つための足がかりとして日本を必要としたのだといえる。
 新興国アメリカは中国貿易の面でもぐんぐんイギリスに迫ろうとしていた。一八四八年といえばブルジョア革命の波が西欧を襲った年であり、産業革命によって蒸汽船が実用化され、鉄道が実用化される時代であった。ペリーはアメリカ海軍で、世界に先がけて、最新の技術をもって従来の伝統にこだわることなく蒸汽海軍をつくった。
 さてサンフランシスコから蒸汽船航路で中国に行くと、中国貿易でイギリスに勝てる目算がついた。だが当時の幼稚な技術ではどうしても途中で石炭をつむ寄港地が必要だった。つまり前にものべたように中国貿易でアメリカがイギリスに勝つための足がかりとして日本を開国させねばならぬことになった。だからペリーは第一ばんに沖繩にいき、那覇を根拠地にして小笠原へ行き、父島に貯炭所にあてる土地まで買って日本が開国しない場合は父島をあるいは沖繩を仲つぎにして上海貿易をやろうと考えていたのである。こんどの太平洋戦争で、まず沖繩をおとし、つぎに日本本土に向うことになっていたのとちょうど同じことだ。

開国派と攘夷派

 太平の眠をさました黒船の来航は国内に開国派と攘夷派の抗争となって波紋をひろげていった。ところで同じく開国派といい、攘夷派といっても、それぞれ二種類があった。
 開国派の一方には、井伊大老の一派がいる。腹の中では開国すれば古い自分たちの権力が保てないことを知りつつも、なお一時の権勢を保とうとするための開国派である。もう一つは真の開国派で、ふるくは安藤昌益、佐藤信淵から、渡辺崋山、高野長英を経て、ペリー来航当時は佐久間象山、橋本左内などがその代表者であった。これらの人びとは、世界の進運に深く思いをいたし、憂国の至情から開国を主張した愛国派である。だから時の権力から烈しい弾圧を受けた…

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