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せいばい
せいばい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「微視の史学」理論社、1953(昭和28)年4月
入力者ゆうき
校正者米田
公開 / 更新2012-02-22 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 徳川時代の司法権は各藩がもっている。――したがって刑法にも、藩ごとの掟がある。だが、死刑だけは、幕府のゆるしがないと執行できなかった。その死刑にも階級があった。会津藩の掟でみると、いちばん軽い死刑は「牢内打首」とよばれた。牢内の刑場で首を斬る。庶民には見せないのである。エリザベス朝のイギリスでも、ロンドン塔の中庭で首を斬られるのは、死罪にたいする軽い扱いであった。ロンドン塔の死罪で一ばん軽いのは絞殺であったが、徳川時代には、絞刑はない。そのかわり一刀で、ばさりと斬る。ロンドン塔の打首は斧でするのである。エリザベス女王の寵臣エセックス伯爵が彼女自身の判決で処刑されたとき、発止と打ちおろされた首斬人の斧は、三度めにようやく首をきり落すことができたとつたえられる。
「牢内打首」より一段重い死刑は、牢内打首と同じ段取りで打った首だけをさらに梟首するもので、「獄門」とよばれるのがそれであった。多くの藩では竹三本を三股にむすんで、その股に首をはさんだものだが、会津藩では五寸角ほどの材木を高さ六尺ほどに二本建て、そのうえに三尺ほどの横木に鉄釘をうったのに首をさして曝した。この獄門よりもひとつ重いのが「成敗」であった。
 成敗は牢内仕置場で執行される死刑の最も重いもので、刑場には三角形の「土壇」を築く。罪人を裸にして右腋を土壇に当て、右手は土壇に立てられた竹に繩でしばりつけ、左手は助手がひっぱっている。そして正面から、罪人の左肩から右乳へかけて斜に、「袈裟切り」をする。これがすむと別の土壇に据えて首を刎ねる。ついでその首を土壇に埋め、額だけ露出させ、二人の刑手が板の両端をもって首の頭上を抑えている。その露出した額を槍で三カ所突いて、首を洗って獄門にかける。成敗か単なる獄門かは、額の槍きずでわかるのである。
 成敗はそれだけではおしまいにならない。はじめ袈裟切りにし、ついで首を刎ねたのち、首のない胴が一つに縫い合わされて、こんどは改めて、はじめ袈裟切りにした下方の部分、腋下から斬る。これを「脇毛」とも「一の胴」ともいう。ついで、また縫い合わせたうえでさらにその下方を斬る。一の胴、二の胴、三の胴と縫い合わせてはつづけて、四の胴は「細骨」、五度めはその下の腰骨の堅牢なところでこれを「もろぐるま」(両車)ととなえた。この一の胴以下は処刑というよりはためし斬りなのであって、それに用いるための自慢の刀剣が、あらかじめ領主からも藩士からも出されており、どの刀でどの胴をためすかは、くじできめた。斬り手はちゃんと定まっていて「すえものし」(居物師)といい壇術家ともいって、三家の師範がありおのおの門弟があった。もろぐるまが終るとまた縫い合わせて首のないまま直立させ、背骨を切り割る。これを「提燈」といって、それで成敗はおわるのである。
 この成敗刑にも軽重があった。軽いのは裁判廷たる公事所(く…

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