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撥陵遠征隊
はつりょうえんせいたい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「黒船前後」大畑書店、1933(昭和8)年9月
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-06-21 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「攘夷」は幕末日本の専売ではない。シナの方がもっと大規模でも深刻でもあった。そして朝鮮をこの点でシナや日本から区別するものがあるとしたら、明治八年までこの国だけは、断然攘夷戦勝国として、いい気持でふんぞり反えれたという点であろう。もっとも近代朝鮮の排外スローガンに「夷倭」とならべ記したのから弁じて、「攘夷」を欧米人に限られたことがらと見れば、明治八年日本に屈服したことなんか当然問題外となって、朝鮮はおよそ攘夷で負けた歴史を持たぬことになる――まことに大日本帝国にとっては、「併合」するに恥かしからぬ国柄であった!
 朝鮮攘夷運動の大立物大院君は、摂政として全実権を収めていたから、幕末の副将軍家水戸斉昭の比ではなかった。摂政となって二年目(一八六六)、当時潜入中の仏人天主教宣教師十二名中九名を断首して、剛愎な排外主義の火蓋を切った。
 同様のことは十七年前にもあって、およそ十八世紀末以降の朝鮮西教史は、保護者フランスの面目丸つぶれといった形だったが、一八六六年(慶応二)といえば、日本もシナもちょっと対外問題が収まった閑時だったから、朝鮮国王をフランス皇帝の保護下におきキリスト教徒たらしめる旨を前もってシナに宣言したうえで、七隻のフランス艦隊が江華島に攻め寄せた。かろうじて朝鮮を脱出した三名の仏人宣教師が、この「聖戦」の案内役として先頭に立ったのはいうまでもない。
 ところが、下関戦争ではさすがの武士道国民に物もいわせなかった近代的軍隊も、一つは安心していたせいもあるが、結局八百名の朝鮮虎手の旧式火繩銃にのされてしまった。虎は一発勝負だ。八百発のねらい撃ちである。正規兵の代りに全朝鮮の虎猟師を駆集めたなぞは、楠正成そこのけの戦術家だった。
 腰を据えて再征すれば、今度は虎手八千名をもってしても、結果は知れたものだったろうが、翌年は安南に兵を動かさなければならなくなり、日本の内乱も、英国とにらみ合って監視する必要がある。そのうち普仏戦争、そして、パリ・コンミューン。ゼスイットをお先棒に使ったルイ十四世以来のフランス植民政策は、焼の廻ったナポレオン三世に踏襲されて朝鮮で最後の実を結ぼうという瞬間に、虎手八百で躓いたばかりに永遠に駄目になったのだから、この戦、偶然の勝利とはいえ決定的な勝利になった。
 地獄に堕ちたように悲嘆した者に、ふたたび今は上海租界にあじきない日を送っている三名の仏人宣教師と、これを取巻く数名の朝鮮人信者とがあった。仏人宣教師の一人をアベ・フェロン師という。

 同じ一八六六年には、米国船との間にも事が起った。米国スクーナー「サープライズ」号は、朝鮮近海で難破したが、風の吹廻しか親切に救助され(日本では難破米船員はみんな牢屋にぶちこんだうえでオランダに渡したが)、そのまま義州越しにシナに渡されて、無事に帰った。ところがその翌月、大同江をぐんぐん遡っ…

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