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武鑑譜
ぶかんふ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「文藝春秋」1947(昭和22)年7月号
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-09-02 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 徳川時代を通じておこなわれていた「武鑑」について、いまの若い人たちは知ることが少いであろう。
 戦争まえまでは、古書展でもさまで珍しがられず、古地図などにくらべて値も安かった。銀座の松坂屋まえの露店に、十数年古本をあきなっている山崎さんなどは、この方面が好きで、いつも何冊か仕入れていたが、値は特別に安かった。
 もっともそれは、わたしの漁るものが珍品として値の高い古い時代のものでなく、当時ざらにあった幕末から明治初年のものにかぎられていたせいもあろう。終戦後も、山崎さんの露店は、嬉しいことにそのままもとの位置に復活しているが、幕末ものさえすでに珍奇となった。
 一口に武鑑というが、大名や幕府役人の全部について巨細にしるした四冊ないし五冊ものの『大成武鑑』だの『慶応武鑑』だのと銘うったもの、それの省略懐中本で二寸に四寸五分ほどの一冊本、同じ型で頁数八、九十丁、慶応二年須原屋茂兵衛版『袖玉武鑑』というのは、大名については記さず幕府官僚のみについての武鑑であるなど、いろいろの種類があり、版元も、日本橋南一丁目の上記須原屋茂兵衛は有名だが、横山町一丁目の出雲寺万治郎以下この道の老舗がある。
 ところで、さきに幕末から明治初年にかけての武鑑と書いたのを奇異に思われたむきもあろう。版籍奉還がおこなわれた明治二年七月までは、幕府はなくなって朝廷が旧幕領を直轄したというだけで、諸大名は旧体制のまま残っていたのであり、版籍奉還ののちになっても、大小名の名目が知藩事とかわり、独立の封建領主が形ばかり天皇制の官僚となったというまでのことである。
 この時代の珍重すべき武鑑は――もはや武鑑とはいわず『藩銘録』と題されているのだが、わたしの手もとにあるのは明治三年庚午初春荒木氏編輯、御用書師和泉屋市兵衛、須原屋茂兵衛共同出版の、袖珍十九丁ものである。
 それは藩名をイロハ順に編別したもので、イの一番は厳原(イツハラ)藩、対馬十万石の宗従四位むろん徳川時代に厳原などという藩名はなかった。以前の長州藩松平大膳大夫はここでは山口藩毛利従三位であり、前将軍家は、シの部の筆頭に静岡藩、駿河七十万石徳川従三位とあるのがそれだ。武鑑で大名は壱岐守、伊賀守、周防守であったものが、ここではすべて正二位から従五位にいたる廷臣としての序列でならんでいる。武鑑の御老中の欄に交替した譜代大名はおおむね従五位のならび大名と化しており、正二位は広島の浅野ただ一人、かれは討幕派諸大名中の長老である。薩長は従三位、土肥は従四位、これにたいして、この『藩銘録』には出てこない中央新官僚政府の指導者たちは、版籍奉還直後明治二年七月の官制改革いらい、たとえば大隈は、「民部大輔兼大蔵大輔従四位守管原朝臣重信」と下手くその筆で署名したのである。
「馬鹿にしている!」と『藩銘録』のお歴々はつぶやいたにちがいない。
 このとき彼等…

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