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明治の五十銭銀貨
めいじのごじゅっせんぎんか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「社会労働研究 創刊号」1954(昭和29)年1月
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-10-21 / 2014-09-21
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この夏配達された、さる新聞の家庭用付録に「オカネの値打ち」という記事にあわせて、明治から昭和にいたる五十銭銀貨の実物大の図譜が載っていた。いまの十円青銅貨を、昭和八年の五十銭銀貨のうえにのせてみると、ぴたりと合うばかりでなくギザの数まで百三十二、そっくり同じである。物価指数(昭和九―十一年消費者物価指数)ではかると、「満州国皇帝」が「友邦」日本に挨拶にくるころの五十銭で買えた品物を買うのに、今日の百三十二円いるから、これまたギザ数である。
 その昭和の五十銭玉が出たとき、なんというケチな国になったかと、明治者は嘆いたものだ。明治末期の少年であるわたしどもが費った五十銭玉はずっと大きくてどっしりしていたが、図譜でしらべてみると日露戦争以前のものは、もひとつ大きくて直径三・一五センチ、目方は一二・五グラムある。昭和の五十銭にくらべると、目方で二倍半あまり、直径で一・三四倍。この堂々たる五十銭銀貨が、明治三年からつくられていたのである。
 五十銭図譜を眺めていると、手にしたことのない人も、なにかしら日本の国力は、明治を溯るにしたがってゆたかだったような錯覚におそわれるかもしれない。
 それにしても、きょうび昭和の痩せ細った五十銭玉を、何枚か残している家庭がどれくらいあるか?――日露戦争前のあの大五十銭玉を、水瓶に三ばいためている山奥の大地主の噂を、子供のとき聞いたおぼえが私にはある。
 明治三、四年といえば、五十銭で米一斗買えた、ほやほやの明治政府は、内外山積の難問題で、のるかそるかというときである。財政計画はあってなきがごとく、やりくり算段も底をついたころで、そのときこの堂々たる五十銭新銀貨をつくったわけを、考えてみよう。
 この大五十銭玉は、二枚で一円、それだけの重さの一円銀貨も、べつにつくられていたのだが、この一円新銀貨は、開港いらい貿易に用いられてきた「米ドル」や「墨銀」の一ドル銀貨と同品位同価値のものにつくられている。
 この一円銀貨は貿易銀と称して、明治十一年まで開港場以外の内地通用を禁じられていたものだが、明治四年六月十六日から新円と旧銀貨(一分銀)の交換を開始するにあたって、一分銀三百十一個をもって新貨幣百円と交換改鋳する旨を発表している。
 旧幕以来の一分銀は四個をもって金一両、四百個が金百両と交換されてきたのであるが、そもそもこの一分銀三百十一個をもって米銀百ドルと交換することにきめたのは、お吉で名高いハリスの狡猾と、幕府役人のまぬけさに基づく、日本にとっての大失敗であった。
 というのもその時――一八五八(安政五)年正月江戸で調印された日米通商条約第五条で「外国の貨幣は日本貨幣同種類の同量を以て通用すべし」ときめたのだが、同種類の同量をもっては、金貨は金貨、銀貨は銀貨と、同じ重さで交換するということで、品位は互いに論じないということでもある…

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