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蓮月焼
れんげつやき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-08-05 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 蓮月尼の陶器には、にせものが多い。にせものとほんものを見わけるのは、急須なり茶わんなりに書きこんである彼女の自作の歌の文字の味で、判断するのである。文字ばかりはどんなにたくみに真似ても、まねきれるものでないといわれるが、ことに蓮月尼の陶器のばあいのように、素焼の肌につまようじかなにかで書き流したあとのうつくしさは、たとえようのないニュアンスをもってにせものの追随をゆるさない。
 にせものという言葉は、しかし、蓮月焼のばあいではあたっていないこともある。蓮月の筆致で書きつける蓮月焼は、今日でも、思いがけぬ地方でつくられている。先年も、山形県の温海温泉で、それを求めたことがある。安くて、それはそれなりに、筆のあともうるわしくたのしいのである。だが、最初からにせものつくりの意図をもって書かれたものは、どんなに上手に似せてあっても、よく見るうちにどことなく下品な陰がさしてきて、いやになるものだ。
 蓮月尼は、幕末維新の京都に知られていたから、そのころの有名人をことごとく尊王派にせずにはおかぬ風潮が、いつか彼女を「尊王歌人」ということにしているらしいが、彼女について最もはやく書かれたものと思われる林長孺の紀文では「烈婦蓮月」となっていて、漢文を書きほぐしてみると、いまだその姓氏を詳にせず、京師の買人某の妻なり。姿儀うるわしく性聡慧。文墨を習い、和歌を能くし、また陶を善くす。家貧にして夫病み、自ら給するあたわず。烈婦べつに小店を開き、茶を煮て客に供し以て夫を養う。いくばくもなく夫死し、寡居みずから守る云々というもので、要するに、夫を養い後家をとおした烈婦だというにある。
 彼女の父は太田垣伝右衛門光古と名乗る知恩院の寺侍で、一人むすめの彼女――名はせい――に、彦根の近藤某を婿にとって男女四児あったがみな早世してやがて婿も死んだ。思うに彦根の近藤家が商家であって、婿の某は養父の職は継がず、習いおぼえた商売でもしたのが、林長孺の「京都の買人某の妻なり」とあるゆえんかもしれぬ。
 夫の没後出家して蓮月尼と号したのが、二十歳ごろのことだというから、文化八、九年のことになる。父光古は蓮月尼が四十になる天保初年まで生きている。和歌は千種有功に学び、陶器をつくって自作の歌を描き、いわゆる蓮月焼を世人から珍重されるようになるのは、父にわかれて、いよいよ独り者の身軽なきょうがいになってからのちのことである。
「都辺の陶工これを模造して利を得る者また少なからず――と『大日本人名辞書』は叙している――而して陶器は模しうれども筆跡は模すべからず、相ともに尼に謁して某の如何せば可ならんを問ふ。尼すなはち陶を作らしめて躬ら歌を題して与ふ。蓋し尼の製陶を模する者数十名、ために糊口を得るは尼の悦ぶところなり。また国々より上京する者詠歌を乞ふの繁なるを厭ひて、家居を定めず、遂に西加茂なる神光院の茶所に…

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