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Moods cashey
ムーズ キャシー
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「黒船前後・志士と経済他十六篇」 岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年7月16日
初出「Moods cashey」真善美社、1947(昭和22)年11月
入力者ゆうき
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-09-02 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 How much dollar? を「ハ・マ・チ・ド・リ」と、居留地の人力車夫仲間できめてしまう。こうしてできた実用英語がピヂン・イングリッシュである。十九世紀の世界を、シナの開放と日本の開国で円形に完成した者は英語国民であったから、香港、上海、横浜と逐次つくられていった外人セツルメントで、土地のシナ人や日本人とのあいだで用いられる実用国際語も、英語を基調としたことは当然である。
 これにたいしてピヂン・ジャパニーズとでもいうようなものが、居留地の外人のあいだでうまれることも当然である。英語なまりで理解された日本語であり、実用国際語のヨコハマ版であり、欧米人の間で Yokohamaese またはヨコハマ・ジャパニーズと呼ばれたものである。進駐軍の兵士が Oh heigh yoh! と発音するたぐいである。
 そのようなピヂン・ジャパニーズは、役人との接触からでなく民衆との日常的接触からうまれてくるのだから、さしあたってはハリス公館のおかれた下田港で誕生したであろうが、そのための一冊のパンフレットができるまで体系化されるのは、なんといっても横浜の居留地が開かれたのちのことである。安政条約が規定した三港開港の時日は、一八五九(安政六)年七月一日とされていた。その前日、ハリスは初代横浜米国領事ドルを従えて下田から神奈川本覚寺に移っている。神奈川の代りに幕府が提供した横浜村の居留地の開港式に列した外人は四十四名で、米商館はウォルシュ・ホール商会、英商館はジャーディン・マヂソンおよびデント商会に代表され、いずれも上海で売込んだ古強者から成っていた。
 上海ではいまでもサランパンというピヂン・イングリッシュがつかわれている。ペケはマレイ語で「行く」ことであり、いったんピヂン・イングリッシュに編入されるや、欧米商館と足跡をともにしてひろがっていった。
 文久二(一八六二)年版の『横浜見聞誌』に、「本町一丁目花鳥茶屋ならびに鳥をあきなふ、異人南京ここに来りてよりよりと買行けばぺけぺけさらつパアと出てゆくもあり」と書かれている。ペケやサラッパアのピヂン・イングリッシュにおける位置は、さしむきこんにちのパンパンにあたろう。
 横浜で発行された『チェリー・ブラッサムス』という雑誌のある号に、ピヂン・ジャパニーズが収録されているよしで、パスク・スミス氏の『日本および台湾の西夷』からそれを紹介してみる。
Hat=Caberra mono(冠り物)
Immediately=Todie mar(ただいま)
Tailor=Start here(仕立屋)
Loafer=Fooratchi-no-yats(不埒な奴)
A “bad hat”=Berrobo-yaru(べらぼう野郎)
Colour=Eel oh(色)
 これらの単語が Serampan(こわれる)、piggy(移す、とりのける…

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