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熊手と提灯
くまでとちょうちん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日
初出「ホトトギス 第三巻第三号」1899(明治32)年12月10日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-08-28 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 本郷の金助町に何がしを訪うての帰り例の如く車をゆるゆると歩ませて切通の坂の上に出た。それは夜の九時頃で、初冬の月が冴え渡って居るから病人には寒く感ぜられる。坂を下りながら向うを見ると遠くの屋根の上に真赤な塊が忽ち現れたのでちょっと驚いた。箒星が三つ四つ一処に出たかと思うような形で怪しげな色であった。今宵は地球と箒星とが衝突すると前からいうて居たその夜であったから箒星とも見えたのであろうが、善く見れば鬼灯提灯が夥しくかたまって高くさしあげられて居るのだ。それが浅草の雷門辺であるかと思うほど遠くに見える。今日は二の酉でしかも晴天であるから、昨年来雨に降られた償いを今日一日に取りかえそうという大景気で、その景気づけに高く吊ってある提灯だと分るとその赤い色が非常に愉快に見えて来た。
 坂を下りて提灯が見えなくなると熊手持って帰る人が頻りに目につくから、どんな奴が熊手なんか買うか試に人相を鑑定してやろうと思うて居ると、向うから馬鹿に大きな熊手をさしあげて威張ってる奴がやって来た。職人であろうか、しかし善く分らぬ。月が後から照して居るので顔ははっきり見えぬが何でも慾ばって居るような人相だ。こんな奴にはきっと福は来ないよ。身分不相応な大熊手を買うて見た処で、いざ鎌倉という時に宝船の中から鼠の糞は落ちようと金が湧いて出る気遣はなしさ、まさか大仏の簪にもならぬものを屑屋だって心よくは買うまい。…………やがて次の熊手が来た。今度は二人乗のよぼよぼ車に窮屈そうに二人の婆さんが乗って居る。勿論田舎の婆さんでその中の一人が誠に小い一尺ばかりの熊手を持って居る。もし前の熊手が一号という大きさならこの熊手は廿九号位であるであろう。その小さな奴を膝の上にも置かないでやはり上向けて大熊手持ったようにさしあげて居たのもおかしい。その無邪気な間の抜けた顔は慥かに無慾という事を現して居るので、こいつには大に福を与えてやりたかった。自分が福の神であったら今宵この婆さんの内に往て、そっとその枕もとへ小判の山を積んで置いてやるよ、あしたの朝起きて婆さんがどんなに驚くであろう。しかし善く考えると福相という相ではない。むしろ貧相の方であって、六十年来持ち来ったつぎまぜの財布を孫娘の嫁入に譲ってやる方だ。して見ると福の神はこんな皺くちゃ婆さんを嫌うのであろうか。あるいは福の神はこの婆さんの内の門口まで行くのであるけれど、婆さんの方で、福なんかいらないというて追い返すような人相とも見える。……………次も二人乗の車だが今度は威勢が善い。乗ってる者は、三十余りか四十にも近い位の、かっぷくの善い、堅帽を被った男で、中位な熊手を持って居る。大方かなりな商家の若旦那であろう。四十近くでは若旦那でもない訳だが、それは六十に余る達者な親父があって、その親父がまた慾ばりきったごうつくばりのえら者で、なかなか六十になっても七十…

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