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病牀苦語
びょうしょうくご
作品ID50388
著者正岡 子規
文字遣い新字新仮名
底本 「飯待つ間」 岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日
初出「ホトトギス 第五巻第七号」1902(明治35)年4月20日、「ホトトギス 第五巻第八号」1902(明治35)年5月20日
入力者ゆうき
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-10-12 / 2014-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○この頃は痛さで身動きも出来ず煩悶の余り精神も常に穏やかならんので、毎日二、三服の痲痺剤を飲んで、それでようよう暫時の痲痺的愉快を取って居るような次第である。考え事などは少しも出来ず、新聞をよんでも頭脳が乱れて来るという始末で、書くことは勿論しゃべることさえ順序が立たんのである。それでもだまって居るのは尚更苦しくて日の暮しようがないので、きょうは少ししゃべって見ようと思いついた。例の秩序なしであるから、そのつもりで読んで貰いたい。
○僕も昔は少し気取て居った方で、今のように意気地なしではなかった。一口にいうとやや悟って居る方だと自惚れて居た。ところが病気がだんだん劇しくなる。ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や腰にかけて、あそこやここで更る更る痛んで来る事は地獄で鬼の責めを受けるように、二六時中少しの間断もない。さなくても骨ばかりの痩せた身体に終始痛みが加わるので、僅かの身動きさえならず、苦しいの苦しくないのと、そんなことをいうだけ野暮な位になって来た。始めは客のある時は客の前を憚かって僅に顔をしかめたり、僅に泣声を出す位な事であったが、後にはそれも我慢が出来なくなって来た。友達の前であろうが、知らぬ人の前であろうが、痛い時には、泣く、喚く、怒る、譫言をいう、人を怒りつける、大声あげてあんあんと泣く、したい放題のことをして最早遠慮も何もする余地がなくなって来た。サアこうなって見ると、我ながらあきれたもので、その醜体と来たらば、自分でも想像されるが、側の見る目には如何におかしいであろう。とにかく三十も越えて男一人前に髭まで生えて居るような奴が、声をあげて止度もなしにあんあんと泣く、その泣面と来たらば醜いとも可笑しいとも言いようがないのである。ここに到って昔の我を顧みて見ると、甚だ意気地のない次第、一方から言えば甚だ色気のない次第、コスメチックこそつけた事はないが、昔は髭をひねって一人えらそうに構えたこともある。のろけをいうほどの色話はないが、緑酒紅燈天晴天下一の色男のような心持になったこともある。しかしそれは何だ。色気と野心、我輩を支配して居った所の色気と野心、それは何であるか。ちょっとすれちがいに通って女に顔を見られた時にさえ満面に紅を潮して一人情に堪なかったほどのあどけない色気も、一年一年と薄らいで遂に消え去ってしもうた。昔は一箇の美人が枕頭に座して飯の給仕をしてくれても嬉しいだろうと思うたその美人が、今我が枕頭に座って居ったとすれば我はこれに酬いるに「馬鹿野郎」という肝癪の一言を以てその座を逐払うに止まるであろう。野心、気取り、虚飾、空威張、凡そこれらのものは色気と共に地を払ってしまった。昔自ら悟ったと思うて居たなどは甚だ愚の極であったということがわかった。今まで悟りと思うて居たことが、悟りでなかった…

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