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伊那紀行
いなきこう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「信濃詩情」 明日香書房
1946(昭和21)年12月15日
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-06-12 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 此度の信州旅行は、伊那の高遠町の名高い小彼岸櫻を見る事と、天龍峽の芽吹きの若葉を見たい爲であつたが、高遠町の方には更に永年心にかけてゐた老女繪島の遠流の事蹟をしらべたい私の念願が果されて、はからずも伊那の友人によつて、彼の地に繪島の研究者があり、その人に紹介の勞をとつてもらふ事が出來る事になつた大きな目的を持つてゐたのである。
 五月一日の朝、私は郷里下諏訪町まで迎へに來てくれた友人有賀氏に連れられ辰野驛に汽車を降り、そこまで出かけてくれた同舊友矢島氏に會ひ、そこから自動車で伊那町に至り、そこでやはり舊友の小原氏に會した。之等の人々は皆二十四年も以前の友達である。その頃私達は諏訪、筑摩、伊那、佐久など信州各地の歌好きな青年男女が十五六人グループを作つて「白夜集」といふ短歌の囘覽雜誌をこしらへ歌の勉強をした。若山喜志子さんもこのメンバーの一人であつた。今日集まつてくれた人々は皆その時の舊友であつて、今はそれぞれその地方の組合農會、銀行などの重要な地位にある人々で地方町村を負うて立つてゐるのであるが、昔はそろつて歌をやつたものであつた。此人々が集まると今でも「東京に出て行つた時には心配したがお邦さんもお喜志さんもまづよかつた」と語り合つてくれる郷里の聲援者たちである。
 さて私は、伊那町に入るまでにいくつもの山葵畑を見た。高い崖の傾斜にきれいな水を案配して流し、そこに一面に山葵が植ゑつけられてある。山葵の花は細い莖のさきに小さく白く咲きはじめてゐた。之が此國の農家の副業となるのだらうと思つて私は眺めた事だ。伊那町から小原氏と一緒に自動車に乘つた人は北村勝雄氏と言つて繪島の事蹟の研究者で此度私が出かけて來たのも此人に紹介され度い爲のその人であつた。氏は伊那高等女學校に教鞭をとつて居られる、素朴率直な山國の士らしい誠に親切な人であつた。
 自動車は高遠町に向つて快走してゐる。山國の春らしい透明な空氣を透して明るく晴れ渡つた空は、したゝるばかりに蒼く輝いてゐる。道ばたの農家には梅櫻李一時に花をひらいて遠く鶯が鳴き、近く燕がとびちがつてゐる。行く手に高く現れた山のうしろの高い山は千丈ヶ岳の高峯ときく、斑に雪は白く、山肌は紺碧に群山を抽いてそびえ立つてゐる。それも春らしい眺めであつた。
 高遠町に自動車は入つた。かねて聞いてゐた三峰川の水は深い山々の雪解けの水を集めて蒼い色がやゝ白く濁り、おびたゞしい水は渦をなして街の南を滔々と流れゆくのである。此河床から十六米程高く古風に靜かな高遠町は見渡される。河畔の旗亭に車を止めそこで私たちは河魚料理で晝食をした。そこへ豊島晃氏が來訪された。醫學博士で歌人であつた故豊島烈氏の令兄である。
        ★
 豊島烈氏は實によい歌を作つた人であつた。その著「五月の空」にある
眞珠庵の古き疊にさし入りてとこ世のものと春日ゆらめく
な…

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