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仏法僧
ぶっぽうそう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「信濃詩情」 明日香書房
1946(昭和21)年12月15日
入力者林幸雄
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-06-17 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 最近佛法僧の事が流行の状態となり、その正體が明らかにされて來た爲か、昔「佛法僧」といふ名を聞いただけで一種の神祕的な幻影を心に投げた時代は過ぎたといふ感がある。
 私が佛法僧といふ鳥の事を初めて讀んだのは今から二十幾年の以前、上田秋成の「雨月物語」の中で讀んだ卷之三「佛法僧」の一文の中であつた。拜志氏の人夢然といふ老人が季の子作之治といふを連れて高野山に詣で、その靈廟の片隅に宿り夜を明した御廟の後林にと覺えて「佛法々々」と鳴く鳥の聲が山彦に答へて近く聞えるのを夢然が
「目さむる心ちして、あなめづらし。あの啼鳥こそ佛法僧といふならめ。かねてこの山に栖みつるとは聞きしかど、まさにその音を聞きしといふ人もなきにこよひのやどり、まことに滅罪生善の[#「滅罪生善の」は底本では「滅罪生 の」]祥なるや。」
と感嘆し、佛法僧は清淨の地を選んで棲める由なるを書いてある。秋成の清澄の文章と内容とが合致して、得も云はれぬ神祕感に打たれた。その時を初めに戀ひ浸つてゐた鳥であつた。その文に引いてある僧の空海著「性靈集」にあると云ふ
寒林獨座草堂曉  三寳之聲聞二一鳥一
一鳥有レ聲人有レ心  性心雲水倶了々
といふ詩偈もさすがに大師の凡人ならぬ心境を傳へ、清淨の氣自ら迫る心地を覺えたのであつた。夢然は聞いたその鳥の聲を寫して唯「佛法佛法」と鳴くと書いてあつたので、私は一人その時想像して何か仄かなぽーつとした聲で、例へば梟の聲の樣な、それをもつと神祕的に幽玄味を帶びた聲にしたものであらうと何時となく信じて了つてゐた。「彿法」といふ語音も決してシユリルな響きを持つてゐず、何處かぽーとした音に思はせられたのである。そして私はどうか一度さういふ尊い鳥の聲を聞いて見度い願ひを持ちつゞけた。
 すると大正十四年八月アララギの安居會(雜誌アララギにて十年以上毎夏催す歌の精進勉強會)その年は高野山において開かれ、それに出席された齋藤茂吉氏がその時高野山で聞いた佛法僧の事を、昭和三年一月四日と五日の時事新報の文藝欄に載せてゐる。それを讀んでゆくと佛法僧の鳴き聲が寫してある。
「それから小一時間も過ぎてまた小用を足しに來た。小用を足し乍ら聽くともなし聽くと、向つて右手の山奧に當つて、實に幽かな物聲がする。私は、「はてな」と思つた。聲は cha-cha といふやうに、二聲詰つて聞えるかと思ふと、cha-cha-cha と三聲のこともある。それが、遙かで幽かであるけれども、聽いてゐるうちにだん/\近寄るやうにも思へる。」
 然し私はこの cha-cha がどうしても腑に落ちないのである。一つ/\音についていつてみるけれど、それがどういふ樣に鳴くのか皆目解らない。ただ茂吉氏の聲を寫してゆくくだりは夢然よりもづつと具象的現實的で
「どうも澄んで明らかである。私は心中ひそかに少し美し過ぎるやうに思つて聽いてゐた…

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