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合本三太郎の日記 序
がっぽんさんたろうのにっき じょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「合本三太郎の日記」 角川書店
1950(昭和25)年3月15日
初出「合本三太郎の日記」岩波書店、1918(大正7)年6月
入力者Nana ohbe
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-04-04 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 三太郎の日記を永久に打切りにするために、從來公にした第一と第二との本文に、その後のものを集めた第三を加へて、此處に此の書を出版する。三太郎の日記は三十代に於ける自分の前半期の伴侶として、色々の意味に於いて思ひ出の多いものである。併しこの書を通讀する人が行間に於いて看取するを得べきが如く、自分は次第に此の類の告白、若しくは告白めきたる空想及び思索をしてゐるに堪へなくなつて來た。自分は最早永久にこの類の――篇中に於いて最も日記らしい體裁を具備する――文章を公にすることがないであらう。さうして後年再び告白の要求を痛切に感ずる時期が來ても――自分は早晩此の如き時期が來ることを豫想する――此の如き形式に於いてそれをすることは決してないであらう。故に自分は、自分の生涯に於ける此の如き時期を葬るために、又過去現在並びに――將來に渉つて自分のこの類の文章を愛して呉れ、若しくは愛して呉れるであらうところの友人に親愛の意を表はすために、Volksausgabe の形に於いて茲にこの書を殘して置く。
 三太郎の日記は三太郎の日記であつて、その儘に阿部次郎の日記ではない。況して山口生によつて紹介されたる西川の日記が阿部次郎の日記でないことは云ふまでもない。此等の日記がどの程度に於いて私自身の日記であるか。此の如き歴史的の閑問題も、後世に至つて或は議題に上ることがあるかも知れない。併し現在の問題としては、自分は、自分が此等の文章の作者として、換言すればその内容の或者を自ら閲歴し、その内容の或者を自ら空想し、その内容の或者に自ら同情し――かくて此等の内容を愛したる一個の人格として、藝術的に全責任を負うてゐることを明言すればそれで足りると思ふ。
 三太郎の日記第一は大正三年四月東雲堂から、三太郎の日記第二は大正四年二月岩波書店から出版されたものである。今この合本を出すに當つて自分は從來の兩書を絶版にする。自分は從來の兩書を此處に集めることと、それを絶版にすることを快諾された前記の二書肆に對して謝意を表しなければならない。今日以後三太郎の日記の唯一なる形としてこの書のみを殘すことは、自分の喜びとするところである。

來る可き春の豫表に心躍りつゝ
大正七年二月二十四日              東京中野にて
著者識



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