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羊羹
ようかん |
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作品ID | 50440 |
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著者 | 永井 荷風 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「葛飾こよみ」 毎日新聞社 1956(昭和31)年8月25日 |
初出 | 「勲章」扶桑書房、1947(昭和22)年5月10日 |
入力者 | H.YAM |
校正者 | 米田 |
公開 / 更新 | 2010-10-18 / 2016-02-21 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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新太郎はもみぢといふ銀座裏の小料理屋に雇はれて料理方の見習をしてゐる中、徴兵にとられ二年たつて歸つて來た。然し統制後の世の中一帶、銀座界隈の景況はすつかり變つてゐた。
仕込にする物が足りないため、東京中の飮食店で毎日滯りなく客を迎へることのできる家は一軒もない。もみぢでは表向休業といふ札を下げ、ない/\で顏馴染のお客とその紹介で來る人だけを迎へることにしてゐたが、それでも十日に一遍は休みにして、肴や野菜、酒や炭薪の買あさりをしなければならない。このまゝ戰爭が長びけば一度の休みは二度となり三度となり、やがて商賣はできなくなるものと、おかみさんを初めお客樣も諦めをつけてゐるやうな有樣になつてゐた。
新太郎は近處の樣子や世間の噂から、ぐづ/\してゐると、もう一度召集されて戰地へ送られるか、さうでなければ工場の職工にされるだらう。幸に此のまゝこゝに働いてゐて、一人前の料理番になつたところで、日頃思つてゐたやうに行末店一軒出せさうな見込はない。いつそ今の中一か八かで、此方から進んで占領地へ踏出したら、案外新しい生活の道を見つけることができるかも知れない。さう決心して昭和十七年の暮に手蔓を求め軍屬になつて滿洲へ行き、以前入營中にならひ覺えた自動車の運轉手になり四年の年月を送つた。
停戰になつて歸つて來ると、東京は見渡すかぎり、どこもかしこも燒原で、もみぢの店のおかみさんや料理番の行衞も其時にはさがしたいにも搜しやうがなかつた。生家は船橋の町から二里あまり北の方へ行つた田舍の百姓家なので、一まづそこに身を寄せ、市役所の紹介で小岩町のある運送會社に雇はれた。
一二ヶ月たつか、たゝない中、新太郎は金には不自由しない身になつた。いくら使ひ放題つかつても、ポケツトにはいつも千圓内外の札束が押込んであつた。そこで先洋服から靴まで、日頃ほしいと思つてゐたものを買ひ揃へて身なりをつくり、毎日働きに行つた先々の闇市をあさつて、食べたいものを食べ放題、酒を飮んで見ることもあつた。
夜は仲間のもの五六人と田圃の中に建てた小屋に寐る。時たま仕事の暇を見て、船橋在の親の家へ歸る時には、闇市で一串拾圓の鰻の蒲燒を幾串も買つて土産にしたり、一本壹圓の飴を近處の子供にやつたり、また現金を母親にやつたりした。
新太郎は金に窮らない事、働きのある事を、親兄弟や近處のものに見せてやりたいのだ。むかし自分を叱つたり怒りつけたりした年上の者供に、現在その身の力量を見せて驚かしてやるのが、何より嬉しく思はれてならないのであつた。
やがて田舍の者だけでは滿足してゐられなくなつた。新太郎は以前もみぢの料理場で手つだひをさせながら、けんつくを食した上田といふ料理番にも、おかみさんや旦那にも、また毎晩飮みに來たお客。煙草を買ひに出させる度毎に剩錢を祝儀にくれたお客にも會つて見たくなつた。進駐軍の兵卒と同じ…