えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

赤い鳥
あかいとり
作品ID50443
著者鈴木 三重吉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鈴木三重吉全集 第二巻」 岩波書店
1938(昭和13)年5月15日
入力者林幸雄
校正者木浦
公開 / 更新2013-02-23 / 2014-09-16
長さの目安約 72 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より

 冷吉は自分には考へる女がなかつたものだから、讀んだ物の中の、赤い鳥を遁がして出て行く女を、自分の女にして考へてゐた。そのために自分に女のないのが餘計に暗愁を増すやうな事もあつたけれど、それでも外に何もないのだから、やつぱりその女を考へずにはゐられなかつた。
 それは表紙が好きだから買つて來た、譯したものを集めた、或本に出てゐた小説であつた。冷吉はいつも、その女が家から遁げて出かけて、窓の鳥籠を下しに引き返すパセイジを考へ浮べるのが癖になつてゐた。
 その本は母に見附けられて、間もなく取り上げられて了つたから、その小説の作者の名前も、耳馴れぬ長い外國名前だつたといふ事しか記憶してゐなかつた。けれども、冷吉にはもとよりそんな事はどうでもよかつた。何の本でもたゞ戀の事さへ書いてあれば、解らないところがあつてもいゝから、ずん/″\貪つて讀んでゐた。
 戀の女はグレツチエンといふ女である。そこはオランダの、何とかいふ、昔からの物の蹟の多い、古い町であつた。相手の青年畫家は、フランスからこの町へ來て、こゝの女のしめりつぽい碧い目と、琥珀色の絹のやうなふさ/\しい髮と、純白な裾長い着物を着た、典雅な姿を寫し取るために止まつてゐた。さうしてそんなモデルに相應しい女を見出す前に、或古い寺院の壁畫に畫かれた、十字架に倒れたキリストを取り下して、窃かに土に葬り入れつゝあるマグダーレンが、わが求めて來た女の型をしてゐるのを戀ひて、その女を活きた女のやうに毎日見に行つてゐたが、或夕方、同じこの畫の前に禮拜して、最早薄暗くなつた圓柱の蔭に下りて行く一人の女の、目差と膚と、白い着物の痩せた形とが、壁畫のマグダーレン自身が拔け出たよりも、もつとそれに似て居るのに愕いて、その儘どこへどう去つたとも別らぬその女に戀ひ移る。
 青年はそれからは毎日その姿を求めて町をさまよふのであつた。さうして話の記載の何頁かを置いて、再び夕方の或物古い町角で、その、わが悲しい妻となるべきグレツチエンが、圖らずも、小さい雨の中を、この男の戀ひ求める目の前を過ぎるのに會ふ事が出來た。
 男は急いで跡を附けて行つた。けれども、それは全く自分の目の迷ひであつたかのやうに、いつしかその女の姿を見失つて、雨の足のみ蜘蛛の絲のやうに絶え/″\に落ち續く、靜かな町筋の路上に空しく立ち止まらなければならなかつた。青年はかうしてまた久しい間のはかない求めの續きに返りつゝ、暮れかゝる町筋をしほ/\と行くと、或しめやかな家の窓に、小さい雨に濡れつゝ懸つてゐる、薄赤い色の鳥のゐる鳥籠を、入れ忘れたらしい飼主の女の手が、丁度男が下へ來かゝる時にカーテンを開けて取り入れるよと見ると、それが見失つたマグダーレンの女であつた。
 男はそれからは幾度も、この窓の下を往き返るために出て來るけれど、生憎戀ひる女の一部分をも見る事を得ずして、毎日同じ…

えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko