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胡瓜の種
きゅうりのたね
作品ID50445
著者鈴木 三重吉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鈴木三重吉全集 第二巻」 岩波書店
1938(昭和13)年5月15日
入力者林幸雄
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-07-24 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 小さいときから自分を育てゝ來たお千は、下女と祖母とを伴れて、車に乘つて一足先に移つて出た。
 自分は宿屋の拂ひをして、一二の用事に[#挿絵]つてあとから行つた。荷車に托した行李と蒲團とが已に運ばれて、上り口に積み上げてあつた。見すぼらしいがた/″\の格子戸を這入つて靴を解く。お千は下女に指圖をして、がさごそそこらを拭き[#挿絵]つてゐた。
「どうだ。掃除は片づいたか?」と言ひつゝ上ると、
「まあ隨分まごつきましたのい。いくら探してもこの家が別らないで、この邊を幾度もぐるぐる[#挿絵]つて辛との事で探し出したんですのい。」と、お千は脇を向いたまゝかう言ひながら、泥水になつたバケツの水を提げて裏口へ出る。
 お千がその外に何を言ひたいかといふ事もそれで別つてゐる。自分は何だか、自分の外には誰一人自分に同情するものがゐない事を見せつけられるやうな、冷い孤獨を感じずにはゐられなかつた。さう考へるせゐか、下女が自分のために氣の毒さうな顏をしてゐる容子までが、反對に自分をさげすみでもしてゐるやうに小惡らしい。
 けれども、そんな拙らない事がいつまでも自分の氣分を支配するわけもない。自分は考へると直ぐにそれは忘れて、表の一と間の襖を開けて祖母に挨拶をした。
 そこにはお千たちの手提袋や、いろんな持物が散らかつてゐた。目の見え惡い祖母は、變な方に向いてしよんぼりと坐つてゐる。自分が耳に口を寄せて物をいふまでは自分が來た事が別らないのであつた。五月といへど、かういふどんよりとした日には、老いた膚がほろゝ寒いと見えて、汽車で布いた膝掛に脊中を包んでつくねんとしてゐる。
「もうこれが落ち附けば世話はないぞのい。」と安心したやうにいふ。
「どこかこの邊が開いてるのかのい? 何だかすう/\風が來るい。」と、見えぬ目をして見探るやうにする。どす汚い床屋の店のやうな硝子障子の硝子が一枚とれてゐるのである。障子の外は、足を踏みはづしさうな、狹い縁側が附いてゐて、その下には炭俵の切れや、食ひ捨てた蛤の殼が、雨の日に刎ねた泥に塗れて散らかつてゐる。土の黒ずんだ、一坪ばかりの庭である。ひよろ/\に痩せた小さい無花果の木が、乏しい若葉をつけて垣の根に植つてゐる。
 自分は風呂敷を解いてその日の新聞を出して、硝子の落ちたところを塞ぐために寸を合はせて切つた。それから下女を、差配の家へ飯粒をもらひに出した。
「隨分ひどい家ですぞのい。」と、それを貼つてゐる後へお千が來た。
「まあね、あそこの押入れの中に、竹の皮や反古や古手拭なんかゞ、かうやつて抱へる程、突つゝき込んであつたのですのい。板の間に這入ると蜘蛛の巣が顏にかゝつて。――御覽なさい、これ。」
 まだ髮にかゝつてゐるのを探つて、顏をしかめて指先で取つて見せる。
 自分はその容子が可笑しいのでくす/\笑ひながら、買つて來た机を床屋の硝子戸の下に据…

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