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書物の倫理
しょもつのりんり
作品ID50537
著者三木 清
文字遣い新字新仮名
底本 「読書と人生」 新潮文庫、新潮社
1974(昭和49)年10月30日
初出「東京堂月報」1933(昭和8)年4月
入力者Juki
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-01-27 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 洋書では滅多にないことだが、日本のこの頃の本はたいてい箱入になっている。これは発送、返品、その他の関係の必要から来ていることだろうが、我々にはあまり有難くないことのように思う。だいいち本屋の新刊棚の前に立ったとき、そのためにたいへん単調な感じを受ける。どの本もどの本も皆一様に感じられる。どれかを開けて内容を調べてみようとしても、箱があるのは不便だ。開いて見て元の箱に納めようとすれば、本には薄い包紙が着けてあるので、私のような不器用者にはなかなかうまく這入らず、ともすればその包紙を破ってしまう。他人の商品を毀損したようで何となく気持が悪い。店の者が横で睨附けていはしないかと思わず赤い顔をすることもある。そういうわけで箱に這入った本は本屋にせっかく陳列してあっても不精と遠慮とから開けてみないことが多い。内容を見もしないで表題だけで本を買うわけにもゆかないから、箱のことは出版屋の方で何とか工夫はないものであろうか。本を買って持って帰って読む段になると、私などはたいていの場合箱は棄ててしまう。不経済な話だ。
 尤もこれは洋書を見慣れている我々の間だけのことかも知れない。この国では本の箱はよほど大切なものとみえて、だいいち古本屋に払うとなると、箱があるとないとで値が違う。私の持っている本は殆どみな箱がない。いつかも古本屋が来たとき「外国にいられた方は皆さんがこうです」とか云っていた。箱を大事にするということは書物を尊重するという日本人の道徳の現われであるようにも思われる。私が子供の頃には、本を読み始める時と読み終った時とには、必ずそれを手で推し戴いて頭を下げるように云い附けられたものだ。これは私の家庭でそうさせられたばかりでなしに、その時分私の村の小学校でもそのようにする習慣があった。この頃はどうなったか。このように本を尊重するというのはもちろん決して悪いことではなく、ひとつの美徳でさえある。けれども一層大切なことは本を使うということである。本を使うことを学ばなければならない。本は道具と同じように使うべきものだということをしっかり頭に入れることが書物に対する倫理である。しかしどう使うかが問題だ。
 そのような意味で誰かの文庫を調べてみると面白い。沢山に本が集めてあっても案外使えない文庫がある。それは持主が自分の文庫を使っていない証拠であり、またそれをほんとうに愛していない証拠である。尤も使う目的にも使い方にも人によって色々相違があろう。そこで或る人の文庫を見ればその人の性格がおのずから現われている。そこに文庫の倫理とでもいうべきものがある。文庫を見れば主人が何を研究しているかというようなことが分る以外に、そこに更に深いもの即ちその人の性格が自然ににじみ出ているのが面白い。本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格…

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