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すみだ川
すみだがわ
作品ID50556
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「すみだ川・新橋夜話 他一篇」 岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-01-03 / 2014-09-21
長さの目安約 70 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 俳諧師松風庵蘿月は今戸で常磐津の師匠をしている実の妹をば今年は盂蘭盆にもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。しかし日盛りの暑さにはさすがに家を出かねて夕方になるのを待つ。夕方になると竹垣に朝顔のからんだ勝手口で行水をつかった後そのまま真裸体で晩酌を傾けやっとの事膳を離れると、夏の黄昏も家々で焚く蚊遣の烟と共にいつか夜となり、盆栽を並べた窓の外の往来には簾越しに下駄の音職人の鼻唄人の話声がにぎやかに聞え出す。蘿月は女房のお滝に注意されてすぐにも今戸へ行くつもりで格子戸を出るのであるが、その辺の涼台から声をかけられるがまま腰を下すと、一杯機嫌の話好に、毎晩きまって埒もなく話し込んでしまうのであった。
 朝夕がいくらか涼しく楽になったかと思うと共に大変日が短くなって来た。朝顔の花が日ごとに小さくなり、西日が燃える焔のように狭い家中へ差込んで来る時分になると鳴きしきる蝉の声が一際耳立って急しく聞える。八月もいつか半過ぎてしまったのである。家の後の玉蜀黍の畠に吹き渡る風の響が夜なぞは折々雨かと誤たれた。蘿月は若い時分したい放題身を持崩した道楽の名残とて時候の変目といえば今だに骨の節々が痛むので、いつも人より先に秋の立つのを知るのである。秋になったと思うと唯わけもなく気がせわしくなる。
 蘿月は俄に狼狽え出し、八日頃の夕月がまだ真白く夕焼の空にかかっている頃から小梅瓦町の住居を後にテクテク今戸をさして歩いて行った。
 堀割づたいに曳舟通から直ぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先の分らないほど迂回した小径が三囲稲荷の横手を巡って土手へと通じている。小径に沿うては田圃を埋立てた空地に、新しい貸長屋がまだ空家のままに立並んだ処もある。広々した構えの外には大きな庭石を据並べた植木屋もあれば、いかにも田舎らしい茅葺の人家のまばらに立ちつづいている処もある。それらの家の竹垣の間からは夕月に行水をつかっている女の姿の見える事もあった。蘿月宗匠はいくら年をとっても昔の気質は変らないので見て見ぬように窃と立止るが、大概はぞっとしない女房ばかりなので、落胆したようにそのまま歩調を早める。そして売地や貸家の札を見て過る度々、何ともつかずその胸算用をしながら自分も懐手で大儲がして見たいと思う。しかしまた田圃づたいに歩いて行く中水田のところどころに蓮の花の見事に咲き乱れたさまを眺め青々した稲の葉に夕風のそよぐ響をきけば、さすがは宗匠だけに、銭勘定の事よりも記憶に散在している古人の句をば実に巧いものだと思返すのであった。
 土手へ上った時には葉桜のかげは早や小暗く水を隔てた人家には灯が見えた。吹きはらう河風に桜の病葉がはらはら散る。蘿月は休まず歩きつづけた暑さにほっと息をつき、ひろげた胸をば扇子であおいだが、まだ店をしまわずにいる休茶屋を見付けて慌忙て立寄り、「おかみ…

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