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秋の鮎
あきのあゆ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣游記」 二見書房
1977(昭和52)年7月20日
入力者門田裕志
校正者塚本由紀
公開 / 更新2015-09-09 / 2015-05-25
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 秋がくると食べものがおいしい。私のように冬でも夏でも年中川や海へ釣の旅をして、鮮しい魚を嗜んでいるものでも、秋がくると特に魚漿にうま味が出てくるのを感ずるのである。
 殊に、今年の立秋からの鮎はおいしかったように思う。一体今年位鮎の育ちの遅れていた年はなかった。例年ならば、土用あけには肥育ちの絶頂に達し、丈も伸び肉も円みもついて八月中旬過ぎには腹に片子を持つのであるが、今年は土用があけても稚鮎の姿をしていた。随って、腹に片子を持っている鮎も、まれであった。
 陽気も一体に遅れているように感ずる。いつもの年には、秋が立つと日中は暑いけれど、朝夕には爽やかな北の風が忍び吹いて肌に清涼を覚えるのであるが、空の雲にも気の動きにも初秋らしいものを感じなかった。ただ、暑い暑いといって喘いでいたのである。旧盆が八月下旬にきた位であるから、陽気が遅れているのが当り前であったであろう。
 鮎も陽気と共に、育ちが遅れていた。私は秋が立つと、上越国境を越えて新潟県の魚野川へ鮎を求めて友釣の旅に出た。それは、八月の十日ごろであった。恙虫がいるので有名な浦佐町の地先で釣ったのだけれど、最初のうちは鮎の姿の小さいのに驚いたのである。そして、十日ばかり釣り続けているうち、鮎は次第に育ってきたが腹の生殖腺がさっぱり発達してこなかった。つまり腹の中に粒子も白子も見えはじめないのである。
 昨年は、八月中旬に釣った魚野川の鮎にはどれにも片子が育っていたのに、今年の鮎はまだ子供のように見えたのである。それから、八月下旬になってから、鮎は漸く一人前の形に育った。一尾三十匁前後の重さに肥ったのだ。こんな訳で、この川の鮎は育ちが一カ月以上も遅れていた。そして、八月下旬になってから漸くほんとうの鮎らしい味が出てきたのである。昨年は、九月の七、八日頃が友釣の竿納めであった。表日本に比べると、越後国へは涼しい秋の訪れが早い。だから、鮎も他の川よりも早く老いて落ち鮎となるから九月十日過ぎれば、味が劣り釣っても味品を賞喫することができないのだが、今年は八月下旬からほんとうの釣季に入り、味も見ごととなった。だから、これからもまだまだおいしくたべられる。まことに、不思議な年であると思う。
 八月下旬に、福島県の鮫川へも行って見た。ここの鮎も、もうよく育っていたが甚だ若い肌色を保っていた。随って世間で貶すほど味の劣った鮎ではなかったのである。あの頃、あの姿であったのであるから九月に入ったこの頃でも、盛んに釣れていることと想像する。
 茨城県の久慈川は、近年、水電工事や鉄道工事、道路工事等で河底の石を荒らしたために鮎の質が低くなって、栃木県の那珂川の鮎と相選ばぬ位に味が劣ってきたのは残念である。省線の水郡線が水戸から郡山へ通じない頃の、大子町を中心とした久慈川でとれた立派な鮎のことを想うと、ほんとうに隔世の感がある。…

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