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きつね
作品ID50620
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集4」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年7月22日
初出「文学界」1938(昭和13)年1月号
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-04-05 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      非有想非無想処――大智度論





時は寛保二年頃。
この作中に出る人々の名は学者上りの若い浪人鈴懸紋弥。地方藩出の青年侍、鈴懸の友人二見十郎。女賊目黒のおかん。おかんの父。

         一

上目黒渋谷境、鈴懸の仮寓、小さいが瀟洒とした茶室造り、下手に鬱蒼たる茂み、上手に冬の駒場野を望む。鈴懸、炉に炬燵をかけて膝を入れながら、甘藷を剥いて食べている。友人の二見、椽に不動みやげ餅花と酒筒を置いて腰かけている。

――芝の三田から中目黒の不動堂へ参詣して、ここまで尋ねて来るのに半日かかった。だがこの目黒というところはなかなか見どころの多いところだ。
――そうかね。住み馴れてしまうと面白くもないが、貴公は始めてだからだろう。
――あの行人坂とかいうきつい坂を下りたところの川の両側から畳み出した石の反り橋があるの、ありゃ珍らしい。
――この辺では太鼓橋といっとる。木食上人が架けたというが、たぶん、南蛮式とでもいうのだろう。
――白井権八小紫の比翼塚の碑があった。
――十年ばかり前に俳諧師が建てたというね。上方の心中礼讃熱が江戸にも浸潤して来た影響かな。心中する者より碑を建てる側の方がよほど感傷家だ。
――しばらく逢わなかったが、貴公、すこし窶れたようだ。
――そうかな。自分ではあんまり気がつかんけれど。
――一たい、こういう生活で満足しとるのか。佗しそうだな。
――割合いに楽しいのだ。
――当時和漢洋の学者、青木昆陽先生の高弟で、天文暦法の実測にかけては、西川正休、武部彦四郎も及ばんという貴公が、どうしたことだ。
――実学も突き詰めてみると、幻の無限に入って仕舞う。時と場合と事情に適応した理論が、いつでも本当ということになる。この無限の大自在所に突き抜けてみると、ありがたいが、おれ見たいな人間には少し寂しい気がする。それでまあ、おれのパトロンの青山修理のこの抱地に一軒空いてる小屋があるというので、引込んだのさ。
――引込んだらなお寂しいだろう。
――こうやって眼を開いて、うつらうつら夢をしばらく見てるのだ。
――卑怯な逃避趣味だね。
――そういう貴公が、こどもらしい餅花など買っているじゃないか。
――こりゃちょっときれいだったので。
――ご同様さまだ。
――どうも手に負えんな。
――何ももてなしがない。これでも食うて見るか。この向うの御用屋敷内の御薬園で出来た甘藷だ。
――これが評判のさつま芋というものか。町方では毒になるといったり、薬になるといったり、諸説まちまちだ。河豚は食いたし、命は惜しだな。
――貴公までそんなことをいう。やがて三つ児まで、駄菓子のように食い出すよ。
――こりゃあやしいまで甘い。だが怖い気もする。
――怖い気がするからあやしいまでうまいのだ。
――はあ、そうかも知れん。おっと忘れていた。貴公に土産を持って来た。上酒だぞ…

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