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宝永噴火
ほうえいふんか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集6」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年9月22日
初出「文学界」1940(昭和15)年7月号
入力者門田裕志
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2012-07-29 / 2014-09-16
長さの目安約 64 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 今の世の中に、こういうことに異様な心響を覚え、飽かずその意識の何物たるかに探り入り、呆然自失のような生涯を送りつつあるのは、私一人であろうか。たぶん私一人であろう。確とそうならば、これは是非書き遺して置き度い。書くことによってせめて、共鳴者を、私のほか一人でも増して置き度い。寂しいが私はこれ以上は望むまい。
 こういう序文が附加えられて、一冊の白隠伝の草稿が無理にわたくしの手許に預けられてある。それは隣のS夫人が書いたものだ。
 夫人は娘時代に禅をすこしやったということだが、今は夫もあり子もあり、幸福な家庭の主婦と見られている。その上、世間にも社交夫人として華々しく打って出ている。
 それは兎に角として、この草稿を「何故、自分の手許に置かれないのですか」と私が訊くと、「手許に置いとくとまた釣り込まれそうなので危くて危くて」という。そう言いながらS夫人は時々来て、頁を繰っている。私はしばらく勝手にさせて置いたが、ふと好奇心が湧いて或る日、その草稿を取上げて見た。なるほど不思議に思われる聖者の伝記だ。以下はそれ。

 わたし(S夫人自身のこと)がこの聖者に、憎いほど激しい嫉妬を覚えて、その詮索に附き纏い始めたのは、この自分の部屋で聖者の逸話集を読んだときからだ。その主な章はざっとこうである。
 ――若い聖者は寺の縁へ出てふと、富士を眺めた。寺は東海道原駅に在った。駅から富士は直ぐ眼の前に見える。富士の裾野は眼で視ただけでは両手を拡げる幅にも余った。その幅も、眺めるうちにだんだん失われた。聖者は眼を二つ三つしばだたいた。すると、しずしずと身の周囲に流れるものがあって、それは雲だ。何の触覚を与えない雲は、聖者を周囲から閉じ込めて、とうとう白一色だけが聖者の視覚の奥に感じられた。間もなく聖者は自身の存在感を失って、天地にただ真白く、肉のようにしねしねした質の立方体だけが無窮に蔓こっていた。どこからそれを眺めて居るのか、眺めている自身がその白さなのか、はっきり判らぬ。聖者は訝かって「慧鶴(聖者の法名)!」「慧鶴!」と自分の名を二声、三声呼んだ。すると音もなく飛びすさるものがあって、数歩の前に富士が、くっきり、雪の褶の目を現わして聳え立った。それから、聖者はまた、二つ三つ、眼をしばだたくと、聖者の眼に富士はいつも寺の縁から眺められる距離感に戻って、青空に匂った。――
 これを読みながら不幸を私に齎らしたのは聖者が美しい富士と肉体的にも融け合って、天地はただ白い質のしねしねした立方体だけに感じられたというところだった。わたしはこれに読み当ったとき、女だてらに机の角を叩いて「畜生!」と叫んだ。
 いおうようない嫉妬が身を噛み上げて来て私は小頸だけぶるぶると慄わした。大きく身体を慄わすのは、何か意外なことが出来上りそうで怖しかった。それで唇をじっと噛んで我慢しながら先を読んだ…

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