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呼ばれし乙女
よばれしおとめ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集5」 ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年8月24日
初出「令女界」1938(昭和13)年8月号
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-03-23 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 師の家を出てから、弟子の慶四郎は伊豆箱根あたりを彷徨いているという噂であった。
 一ヶ月ばかり経つと、ある夜突然師の妹娘へ電報をよこした。
「ハコネ、ユモト、タマヤ、デビョウキ、アスアサキテクレ」
 受取って玄関で開いた千歳は、しばらく何が何やら判らなかった。慶四郎と姉となら、一時、ああいう話もあったのだから呼出すもよい。妹の自分を名指して何故だろう――いつの間にか姉娘の仲子が、千歳のうしろに来て、電報を覗き込んでいた。脆くて、きめが濃かく、寂しい気配の女であった。千歳はそのまま姉へ肩越しに電報を読み取らせた。仲子はそのまま千歳の脊中でじっと考えていたが、やがて臆病に一本の華著な指先きで妹の脊筋を圧して、いつもの仲子のひそやかな声で囁いた。
「行って上げなさい。お父さまには破門になってるし、私は家を取締っているし、あんたよりほかだめだと思ってだわ」
 事実、千歳の家では老父と姉妹の三人のほか家族として誰もいなかった。
「病気して、お金にでも困っているのね」
「そうよ、窮したら外に言って行くところも無い人だもの。家だって、千歳さんが慶四郎さんとは一番遠慮なくしてたんだから」
「でも、お父さまが、どう仰有るかしら」
「それは、私がとりなしとくわ」
 千歳は、姉のいう言葉が、いちいち尤もだとは思った。だが、こういう常識的なとりなしの分別ばかりあって、一度自分の婿まで定りかけ、お互いの間にやや濃厚な気持さえ醸したらしい慶四郎の病気を、いくら名ざして来たとて妹の自分に任せようとする姉の陰性も嫌いだった。
 姉は、薄皮の瓜実顔に眉が濃く迫っている美人で、涙っぽい膨れ目は艶ではあるが、どんな笑い顔をも泣き笑いの表情にして、それで平生は無難なまとまった顔立ちでも単純だった。たとえ、それが姉であっても千歳には何か飽足りないもどかしい感じだった。だが向き合ってみると亡き母に生うつしの姉だった。千歳は、そこにこの姉への懐しみといとしさを感じた。
 千歳は、くるりと姉の方へ向直った。そして、姉の左の手へ自分の右の手の指を合せながら、
「じゃ、まあ、行ってみるわ」
「そうなさい、そうしてよ」
 千歳は、この姉が、自分に出来ないことはいつも妹にして貰い、それによって様子の脈をひく性分であることも充分承知していた。
 千歳が、明日の朝の箱根行きの仕度をしに部屋へ引取ろうとすると、仲子は鼻声で言った。
「ちょっと、あたしに、その電報頂戴よ」

 五月の薄曇りの午前に、千歳は箱根湯本の玉屋の入口の暖簾を潜った。入れ違いに燕が白い腹を閃かして出た。
「やあ、来ましたね。よく来ましたね」
 明るい外から入って来たので、千歳の眩んだ眼にはよく判からなかったが、慶四郎は支度して玄関へ出て待っていたらしい。
「あら、病気だなんて……電報うったくせに」
「嘘じゃなかったけど、もう直った」
「まあ……」…

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