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孔子と管仲
こうしとかんちゅう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「支那學文藪」 みすず書房
1973(昭和48)年4月2日
初出「支那學 第三卷第二號」1922(大正11)年11月
入力者はまなかひとし
校正者染川隆俊
公開 / 更新2010-07-09 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 儒家の政治に關する理想は、君主其仁義の徳を修め、推して之を四海に擴むるにある。所謂人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行ひ、教養並待ちて、天下の民、匹夫匹婦まで其澤を被らざるものなきに至るを以て王道の極功として居る。覇者の政は即ち之に異り、或場合には、仁義道徳を云々するけれども、是れ其美名を假るに過ぎない。又其政治は時としては人民に幸福を與へ、顯著なる事功を生ずることもあれど、其實彼等には其自身の目的があつて、人民を以て其目的を遂行するに必要なる機械と見、專ら法に任じ、人民を驅りて之に赴かしめ、以て役使の用に供する。即ち儒家が政治を以て人民の爲めの政治となすに反し、法家にありては人民を以て政治を遂行する一の機械とする。是の如く兩者の主義主張同じからざりしを以て、孟子の如きは儒家の立場より、春秋の世、覇者として有名なりし齊桓晉文、若しくは齊桓の覇業を輔けて功ありし管仲、同じく齊の政治家にして法家の思想を抱きし晏子等に對しては不滿の意を表はして居る。其齊宣王の問に答へて「仲尼之徒。無下道二桓文之事一者上。是以後世無レ傳焉。」といひ(梁惠王上)公孫丑が「夫子當二路於齊一。管仲晏子之功。可二復許一乎。」といひしとき、「子誠齊人也。知二管仲晏子一而已矣。」と答へて、己を管晏の徒に比するの不平を列らべ(公孫丑上)又た「湯之於二伊尹一。桓公之於二管仲一。則不二敢召一。管仲且猶不レ可レ召。而況不レ爲二管仲一者乎一。」(公孫丑下)といひし孟子の言葉により何如に其管仲を眼下に見しかを知ることができる。其他荀子が「仲尼之門人。五尺之豎子。言羞レ稱二乎五伯一。」(仲尼篇)といひし言に徴すれば、當時孟子に限らず、凡そ儒家に屬せしものは、五伯若しくは之を輔けし人物を非難し、又彼等の政治に學術的理窟をつけたる法家學派と互ひに相爭ひ、王覇の別を嚴にして孔子の道を明にせんと務めた有樣が察せられる。
 然らば儒家の祖とする孔子自身は此等の覇者と之を輔けて其業を成さしめたる人物、例へば管仲の如きものにつき何如に之を批評せしか、孟荀と同じき峻嚴なる態度を取りて之に向はれしか。是れ此文に於いて論ぜんと欲する所である。
 さて孔子の管仲に對する批評は論語に散見するが、申迄もなく第一は八[#挿絵]篇の『管仲之器小哉』の一章、それから憲問篇『或問子産』章に管仲の評語あり、又外に猶二章あり。今説明の爲めに、其全文を擧げん。

子路曰。桓公殺二公子糾一。召忽子レ之。管仲不レ死。曰。未レ仁乎。子曰。桓公九二合諸侯一。不レ以二兵車一。管仲之力也。如二其仁一。如二其仁一。
子貢曰。管仲非二仁者一與。桓公殺二公子糾一。不レ能レ死。又相レ之。子曰。管仲相二桓公一覇二諸侯一。一二匡天下一。民到二于今一受二其賜一。微二管仲一。吾其被レ髮左レ衽矣。豈若下匹夫匹婦之爲レ諒也。自經二於溝涜一而莫中之知ラルヲ上也。

以上…

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