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明治演劇年表
めいじえんげきねんぴょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「明治劇談 ランプの下にて」 岩波文庫、岩波書店
1993(平成5)年9月16日
入力者川山隆
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2011-05-11 / 2014-09-16
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

明治時代の劇を研究する人々の参考にもなろうかと思って、左の演劇年表を作ってみた。勿論完全な物ではないが、先ずこのくらいの事は知っていても好かろうという程度で編集したのである。但しその年表が東京だけにとどまって、関西方面まで手が廻らないのは、編者が関西劇界の事情をよく諳んじていないがためである。
明治の初年は、江戸から東京へ移った過渡時代で、編入すべき事項も頗る多いが、ここにはその大体を記すにとどめて置く。あまり繁瑣にわたることを避けたためである。
(岡本綺堂)
[#改ページ]

明治元年(戊辰) 一八六八
○天下の形勢不穏のため、猿若町の三座とも正月興行を休み、二月に至りて漸く開場。
○五月十五日、市村座と守田座の開演中に、上野彰義隊の戦闘あり。その後も市中おだやかならず、劇界不振をきわむ。
○八月、市村家橘改名して五代目尾上菊五郎となる。時に二十五歳。
○九月二十三日の夜、河原崎権之助、今戸の宅にて浪士の強盗に斬殺せらる。養子権十郎は幸いに免かる。

二年(己巳) 一八六九
○三月、河原崎権十郎、養父のあとを襲いで七代目河原崎権之助と改め、市村座において「勧進帳」の弁慶を勤む。
○八月、市村座において「桃山譚」を初演。権之助の地震加藤、大好評。
○劇場は依然として不振の状態をつづけ、各座いずれも経営に苦しむ。

三年(庚午) 一八七〇
○三月、守田座において市川左団次の丸橋忠弥初演、大好評。
○四月、三代目沢村田之助、再び脱疽のために残る片足を切断す。
○六月、市村座六月興行の入場料は、桟敷代八十五匁、高土間八十匁、平土間七十五匁。
 参考のために市村座の入場料を掲げたるが、他も大同小異と知るべし。これは桟敷または土間一間の価にて、その当時の一間は七人詰なり。江戸時代には桟敷三十五匁、土間二十五匁が普通にて、それに比較すれば明治以後は大いに騰貴したる次第なるが、一匁は一銭六厘五毛なれば、平土間七十五匁は一円二十三銭七厘五毛、それを七人に割付けるときは、一人前は十七銭六厘余に相当す。
○十二月十八日、三代目関三十郎死す、六十六歳。

四年(辛未) 一八七一
○一月、中村翫雀大阪より上京し、守田座における御目見得狂言の三浦之助、好評。
○七月、守田座にて「亀山の仇討」を開演中、石井兵助を勤むる嵐璃鶴が召捕られて、後に懲役三カ年を申渡さる。小林金平の妾おきぬが璃鶴と私通し、遂に金平を毒殺するに至りしより、おきぬは死罪、璃鶴は連坐の刑に問われしなり。
○十月二十二日、六代目市川団蔵、大阪に死す、七十二歳。彼は前名を九蔵といい、天保十一年河原崎座において「勧進帳」初演の当時、富樫左衛門を勤めたり。
○十月、仏人スリエ、九段招魂社にて曲馬を興行す。

五年(壬申) 一八七二
○二月、守田座の座主守田勘弥、猿若町より京橋区新富町六丁目へ転座を出願し、四月に至って許可せら…

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