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ドナウ源流行
ドナウげんりゅうこう
作品ID5072
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆15 旅」 作品社
1983(昭和58)年9月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2010-07-13 / 2014-09-21
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 この息もつかず流れている大河は、どのへんから出て来ているだろうかと思ったことがある。維也納生れの碧眼の処女とふたりで旅をして、ふたりして此の大河の流を見ていた時である。それは晩春の午後であった。それから或る時は、この河の漫々たる濁流が国土を浸して、汎濫域の境線をも突破しようとしている勢を見に行ったことがある。それは初冬の午後であっただろうか。そのころ活動写真でもその実写があって、濁流に流されて漂い著いた馬の死骸に人だかりのしているところなども見せた。その時も、この大河の源流は何処だろうかと僕は思ったのであった。
 地図を辿って行くに、河は西南独逸の山中から細くなって出て来ている。僕は民顕に来てから、“die Donau”という書物を買った。これは、Schweiger-Lerchenfeld の撰で、西紀一八九六年に維也納から出版されたものである。僕は此の書物を愛して時々拾読した。その中には Donau を中心として、地理学・水路学・船舶学・人類学・考古学・博物学・歴史があった。おなじ大河でも Wolga と Donau とは趣のちがうことをいうあたりには何かの感激があった。それから、Donau に沿うた維也納の古い絵図などを見ると、やはりなつかしい気持が湧き、それは、ヨハン・シュトラウスの、“Spiegelt sich in deiner Wellen Tanz”などという歌曲に因るのみではなかった。
 僕は地図のうえのその細い流を実地に見たいとおもい、復活祭の休を利用しようとした。そこで、西紀一九二四年四月十八日、午前七時半の汽車で民顕を出発した。この汽車は、Augsburg, Ulm を経て Stuttgart の方へ行く急行列車である。僕はその三等車内にいて気を落付けている。今朝、宿の媼 Hillenbrand が六時に僕を起して、朝食を食べさせて呉れたのであった。
 朝はまだ早いのに畑では農夫がもう働いていた。妻が牛の口を取り、夫が鋤の方を操縦しているのなども目についたが、きょうは Karfreitag である。復活祭前の金曜であるのにこうして農夫は働いているのが目についた。維也納の郊外に行ったときも日曜に農夫が幾たりも働いていた。これは信心ぶかくないという証拠にはならなかった。然し春寒であるから耕し了えた畑はまだ幾枚もない。冬枯の草で蔽われているところを田鼠が恣に歩くので、掘りかえされた土が小さい山の様になって幾つも見えていた。そのうち、汽車が走るにつれて、畑の間を一直線に流れている水が見えたり、白樺の林が松林になり、樅林になり、落葉樹林になる。けれども大体の風光は、ゆるやかな勾配を持った畑と草野から成立っていると謂っていい。これは墺太利でも同じである。
 僕は民顕の停車場から買って来た新聞を読むと、それに日本人の記事があった。北米合衆国で…

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