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女子教育に就て
じょしきょういくについて
作品ID50744
著者新渡戸 稲造
文字遣い新字新仮名
底本 「新渡戸稲造論集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年5月16日
初出「基督教世界 一〇七五号」基督教世界社、1904(明治37)年4月7日
入力者田中哲郎
校正者ゆうき
公開 / 更新2010-09-12 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


左は京都大学講師農学博士新渡戸氏が梅花女学校卒業式に於て演説せられしものの大要なり、文責は記者にあり。

 百姓にとっては花より果が大切である。何事も実用的でなければならぬ。教育に於ても実用を主とせねばならぬというは一般に人の主張するところである。私も二十年前はしか思うておった。殊に女子教育はしかあるべきものと論じた事もあった。然れど今に及んで考うれば、それは間違っておった。すべて中等の教育は実用などということは寧ろ棄てておいて、それよりは理想を高くするということが必要である。
 元来日本の教育は独逸に倣ったために、すべてが規則的で、学科を多くして、能う限り多くの芸術を教えようとしたのである。これは教育の方針を誤ったものである。教育はつとめて自由で、芸術を教ゆるよりは、その趣味理想の脳力を養うべきである。多くの人の経験によれば、最楽しい時は、学校である。ちょっと考えると学校を出て働く時の方が楽しかるべきはずのようなれど、実際はそうでない。今日の社会では悲しい事だが、家庭よりも学校の方が寧ろ楽しいのである。これは何故であろうか。私思うに学校時代は最理想の高い時であるからであろう。理想さえ高ければ、如何なる困難に遇っても楽しむ事が出来る。社会に出でると実際の事実が理想のようにないために失望して失敗するものが多い。然れど常に理想を固く以ているものは、その中に於てよく耐忍してこれに勝つことができる。
 この理想を養う所は学校である。私の友人に大学を卒業して立派な官吏となっておる者がある。ある時この人が私に曰うに、僕は学校に於て教ったことは何も役に立たなかった、しかし少しばかり学んだ哲学が僕に非常な利益を与えたと。然らば学校にいる時に最注意することは、技術芸能でなくて人生の理想を養うことである。飯をたいたり漬物をつける位は何処でも習える。然れど理想は学校でなくば容易に得られぬ。それ故に学校にある間に善い詩や文やまたは聖書などによって大に理想を養わねばならぬ。なお卒業して社会に出る人にすすめたきことは、事に当ってその養われた理想を思い出して、考えることである。兼ねて聞いた事、思うておった事は「ここだ」と思いかえして誤らないようにすることである。真剣の勝負をする時は、先ず一歩退いて「ここだ」と心を静めてなすべきだというが、学校を出て実際の社会に立とうとするものはこの事が最必要である。
〔一九〇四年四月七日『基督教世界』一〇七五号〕



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