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人麿の妻
ひとまろのつま
作品ID5075
著者斎藤 茂吉
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆61 万葉(一)」 作品社
1987(昭和62)年11月25日
入力者門田裕志
校正者氷魚、多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-12 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人麿の妻は、万葉の歌から推しても、二人だといふ説があり、三人だといふ説があり、四人だといふ説があり、五人だといふ説がある。今次に可能の場合を記載しながら、決定して行き、先進の説を附載するつもりである。
 (一) 軽娘子。 人麿が、妻が死んだ後泣血哀慟して作つた長歌、((巻、二二〇七、二一〇、二一三))のはじめの歌に、『軽の路は吾妹子が里にしあれば、……吾妹子が止まず出で見し軽の市に』とあるので、仮に人麿考の著者に従つてかく仮名した。この長歌で見ると、秘かに通つてゐたやうなことを歌つてゐるが、此は過去を追懐して恋愛初期の事を咏んだ、作歌の一つの手段であつたのかも知れない。
 (二) 羽易娘子。 長歌の第二に、『現身と念ひし時に取持ちて吾が二人見し』云々、『恋ふれども逢ふよしをなみ大鳥の羽易の山に』云々とあつて、羽易の山に葬つた趣の歌であるから、これも人麿考の著者に傚つて仮にかう名づけた。この長歌には、『吾妹子が形見に置ける若き児の乞ひ泣く毎に』云々とあつて、幼児を残して死んだやうに出来てゐる。それだから、この羽易娘子と軽娘子は別々な人麿の妻だと考へてゐる論者が多い。けれども、人麿が長歌を二様に作り、第一の長歌では遠い過去のこと、第二は比較的近事のことを咏んだとせば解釈がつくので、此は同一人だと考へても差支ないと思ふ。
 (三) 第二羽易娘子。 第三の長歌(或本歌曰)は第二の長歌と内容が似て居り、『吾妹子が形見に置ける緑児の乞ひ哭く毎に』と云つて幼児の事を咏んでゐるが、違ふ点[#「違ふ点」は底本では「遠ふ点」]は、『現身と念ひし妹が灰にてませば』といふ句で結んだところにある。賀茂真淵は、以上の三娘子のうちを二人と考へ、軽娘子を妾と考へ、羽易娘子を嫡妻と考へた。そして羽易娘子と第二羽易娘子を同一人と看做し、それが嫡妻で人麿の若い時からの妻だらうから、この妻の死は、火葬のはじまつた、文武天皇四年三月((文式紀に、四年三月己未、道昭和尚物化。時七十有二、弟子等奉レ遺火二葬於粟原一。天下火葬従レ此而始也))以前で、未だ火葬の無かつた頃と想像せられるから、『灰』字は何かの誤だらうと云つた。それに対して岸本由豆流は、『何をもて若きほどの事とせらるるにか。そはこの妻失し時若児ありて後にまた依羅娘子を妻とせられし故なるべけれど、男はたとへ五六十に及たりとも子をも生せ妻をもめとる事何のめづらしき事かあらん』((万葉集攷証第二巻三二一頁))と駁してゐる。攷証の説を自然と看做して其に従ふとせば、以上の三娘子を同一人と考へて差支ない。((なほ、火葬の事。灰字のことにつき木村正辞、井上通泰の説があるから、別なところに記して置いた。))この事は山田博士も、『余はこれは一人の妻の死を傷める一回の詠なりと信ず』((講義巻第二))と論断してゐる。そしてこの人麿の妻の死を文武四年三月以後((仮に…

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