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南北
なんぼく
作品ID50759
著者横光 利一
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文學全集 29 横光利一集」 新潮社
1961(昭和36)年2月20日
初出「人間」1921(大正10)年2月
入力者ウィルキンス賢侍
校正者米田
公開 / 更新2012-02-28 / 2014-09-16
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 村では秋の収穫時が済んだ。夏から延ばされていた消防慰労会が、寺の本堂で催された。漸く一座に酒が廻った。
 その時、突然一枚の唐紙が激しい音を立てて、内側へ倒れて来た。それと同時に、秋三と勘次の塊りは組み合ったまま本堂の中へ転り込んだ。一座の者は膝を立てた。
 暫くすると、人々に腕を持たれた秋三は勘次を睥み乍ら、裸体の肩口を押し出して、
「放せ、放せ。」と叫んでいた。
 勘次はただ黙って突き立ったまま、ひた押しに秋三の方へ進もうとした。
「今日という今日は、承知せんぞ!」
「何にッ!」
 二人は羽がい締めにされた闘鶏のように、また人々の腕の中で怒り立った。
「放してくれ、此奴逝わさにゃ、腹の虫が納るかい。」
「泣きやがるな!」
「何にッ!」
 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。
「抛り出せ。」
「なぐれ。」
「やれやれ。」
 騒ぎの中に二人の塊りは腰高障子を蹴脱した。と、再びそこから高縁の上へ転がると、間もなく裸体の四つの足が、空間を蹴りつけ裏庭の赤万両の上へ落ち込んだ。葛と銀杏の小鉢が蹴り倒された。勘次は飛び起きた。そして、裏庭を突き切って墓場の方へ馳け出すと、秋三は胸を拡げてその後から追っ馳けた。



 本堂の若者達は二人の姿が見えなくなると、彼らの争いの原因について語合いながらまた乱れた配膳を整えて飲み始めた。併し、彼らの話は、唐紙の倒れた形容と、秋三の方が勝味であったと云うこと以外に少しも一致しなかった。が、この二人の争いは、彼らにとって眼新しいものではないらしかった。彼らの話に拠ると、二人の家は村の南北に建っていて、二人の母は姉妹で、勘次の母は姉であるにも拘らず、秋三の家から勘次の父の家へ嫁いだものであった。けれども此の南北二家は親戚関係の成り立った当夜から、既に絶縁同様になっていた。と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘次の父は秋三の家が没落して他人手に渡ろうとした時、復讐と恩酬とを籠めたあらゆる意味において、「今だ!」と思った。そして、妻が反対したのに拘らず、彼は妻の実家を立て直して翌年死んだ。以後勘次の家は何事につけても秋三の家の上に立った。で、何物にも屈伏することを好まない青年の自尊心を感じることの出来る者達程、此の日の二人の乱闘の原因も、所詮酒の上の、「箸で突いた」程度のことから始まったと自然な洞察を下して、また酒盃をとり上げた。
 併し此の噂は村の幾宵を騒がせた。そして、軈て来る冬の仕事の手始めとして、先ず柴山の選定に村人…

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